「慰安婦」メモリアル・デー 被害者に屈服強いる「和解という名の暴力」を考察
「責任なき和解は不可能」
「和解」が展開する00年後半、東アジアの固有性に着目する「和解学」が創出される。古橋氏は、その集大成のような大論文集『和解学叢書』(明石書店)全6巻を読み込んだ。編者は、早稲田大学国際和解学研究所所長の浅野豊美教授ほか。日韓の和解をうたうが、「慰安婦」に直接関連した論文はない。ただ、「慰安婦当事者や支援運動には明確な目標の設定が困難であった」との記述があり、これについて古橋氏は「事実を明らかにすること。明確に反駁の余地のない謝罪。そして、賠償と再発防止という明確な目標を掲げている。要求を理解せず、実現の努力が足りなかった日本の問題だ」と反論した。 また、「少なくとも30代以下の韓国人女性は、無理やり連行されたから問題だというイメージでは語っていない。『慰安婦』支援運動に貢献する韓国人女性は、『慰安婦』問題を解決できないと、現在の自分を取り巻く性暴力の問題を解決できないと考えている」と解説。「慰安婦」問題は女性への暴力問題なのに「『和解学叢書』は国と国の関係に固執。ジェンダーが削除され、女性を媒介にした制度を不可視化している」と指摘した。そして1990年代以降の日本は「男性第一主義が進んだ。韓国を下に見て女性を無視している」とし、「責任なき和解は不可能。日本社会で『慰安婦』問題を議論すべきだ」と呼びかけた。 冒頭の発言は質疑応答で出たもので、古橋氏は「性暴力が悪いことという文化は今も日本にはないのでは」とも語った。性暴力を訴えた被害者のほうが非難される二次加害は多く、たとえ裁判で認められても罪は軽い。事実関係の解明や謝罪もその場しのぎで、性暴力が重大な人権侵害であるという認識が浸透していない社会であることは事実だ。「慰安婦」問題は今も続いていると痛感する。
山田道子・ライター