「慰安婦」メモリアル・デー 被害者に屈服強いる「和解という名の暴力」を考察
「1990年代に『慰安婦』問題が出てきた時、性暴力であると理解していなかったのではないか。ナショナルな観点だけだった」。古橋綾・岩手大学准教授の問いかけが突き刺さった。 この言葉が発せられたのは、女たちの戦争と平和資料館(略称wam)が8月14日、東京・新宿で開いたシンポジウム。同日は、韓国の金学順さん(97年死去)が91年に日本軍「慰安婦」として初めて名乗り出た日であることから、メモリアル・デーとなっている。 シンポジウムのテーマは「和解という名の暴力」。韓国の日本文学研究者の朴裕河著『和解のために―教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社)が2006年に日本で出版され、一部で「自国のナショナリズムを批判する韓国の良心が表れた」と称賛された。以降「和解」が強調されるようになる。 これに対し、「和解」という美名の下、被害者に妥協と屈服を強要するのは言説の暴力ではないかと問題提起。植民地支配責任を回避し、国と国の関係悪化の原因を被害者に求めるような「和解」について改めて考える内容だ。 植民地主義を思想史的に批判し続けてきた早尾貴紀・東京経済大学教授は、「和解論」が広がった背景を分析した。早尾氏によると、1989年の「冷戦の終焉」と「昭和の終焉」で90年代以降、歴史修正主義が広がり、2000年代以降、右傾化が加速。その中で、リベラル、アカデミック、市民運動などあからさまな右派でない人たちの間にも断罪的な論調で「慰安婦」問題を裁くことへのためらいなどが生じてきたという。 そこに登場したのが朴氏の『和解のために』。大佛次郎論壇賞(朝日新聞社)を受賞した。「それまで日本の戦争責任を追及してきたリベラルな知識人が同著に飛びついた。メディアも『和解』に関するシンポジウムを開くなどして世論形成した。このような『右派の進展』と『リベラルの欺瞞』の『共犯』で和解論が広がった」と早尾氏は指摘。通底するものとして「植民地主義認識の希薄さ」を強調するとともに、「(右派だけではない)中道知識人らによるフェミニズム嫌悪」を挙げた。 そのフェミニズム視点から和解論を考えたのが、ジェンダー研究の社会学者、古橋綾氏。同氏は10~18年、韓国に留学し、元「慰安婦」の名誉回復運動や現代の反性売買運動などに携わる。当事者の話を聞くことを重ね、「慰安婦」に象徴される「歴史として考えてこられなかった女性」の記録にこだわった。