武内陶子「定年まであと2年、早期退職制度でNHKを飛び出した。ここからが、私の人生の第2章!今は背中に羽が生えたような気分」
2023年9月末、33年間アナウンサーとして勤めたNHKを早期退職制度で辞めた武内陶子さん。思いもよらず、新たなスタートを切った心境は――(構成=内山靖子 撮影=宮崎貢司) 【写真】目下、夫の相談に乗っているところとほほ笑む武内さん * * * * * * * ◆最後まで勤め上げる気だった NHKを退職し、フリーになって約4ヵ月。今は、まるで背中に羽が生えたような感覚で、気分が軽くなりました。意識しているつもりはなかったのですが、やはりそれだけ「NHK」という看板が重かったのでしょう。言葉遣いひとつとっても、公共放送という立場上、「きちんとしなきゃ」というプレッシャーを常に感じていたのだと思います。 特にアナウンサーは番組作りの最終アンカー。視聴者のみなさんに直接見ていただく立場なので、ひとことでも私が失言をしたら、その番組を作っている大勢のスタッフや、NHKという組織全体にもダメージを与えてしまう。それが、フリーになった今はすべて自己責任。 慣れないクイズ番組に出演し、1問も答えられずにあたふたしても(笑)、悪いのは私で、誰にも迷惑がかからない。なんでも自分の意思で決められて、自由に失敗できるのはなんて楽しいことだろうって。 もちろんこれからやっていけるのか不安がないわけではありませんが、「ここからが、私の人生の第2章!」と、ワクワクする気持ちのほうが勝っている感じです。 そもそも、定年まであと2年というときに、なぜNHKを辞めたのか――。正直な話、退職する半年前まで、自分が定年前に辞めるなんて1ミリも思っていませんでした。 社会人として、私の土台を作ってくれた大切な《故郷》ですし、2018年に同期の有働由美子さんが辞めたときも、「後は任せて!NHKは私が守るから」と、最後まで勤め上げる気満々だったんです。
ところが、60歳の定年が近づくにつれ、同期のみんながザワザワし始めた。関連会社で働くという人もいれば、ディレクターの仕事を続けるためにほかの制作会社に移籍するなどさまざまな選択をする人が増えてきて。 そこで初めて、人生100年時代なのだから、私もこの先、自分が何をしたいのか考えなきゃいけない。頼もしい後輩たちも育ってきたので、自分の道をもう少し自由に歩いたり、今までできなかったことをやってみてもいいんじゃないかと思うようになってきて……。 ちょうどタイミングよく早期退職制度が導入されたこともあり、体力的にも精神的にも「飛び立つなら今しかない!」という声が心の奥から聞こえてきたのです。 そんなふうに考えるようになったのは、19年から担当しているNHKラジオ第1放送の番組『ごごカフェ』の影響も大きかったと思います。それまでずっとテレビの仕事をメインで担当してきたので、「ラジオに異動」と言われたときは一抹の寂しさを感じたことも確かです。 地上波の番組に出ていないと、「アナウンサー、辞めたのですか?」と聞かれたり、「ラジオに行っちゃうのは残念ですね」と言われたりしたこともありました。でもそんなマイナスの感情は脇に置き、「これまでとは違う新しい世界を作ろう!」と、プラスの方向に舵を切っていきました。せっかく新たな場を与えられたのだから、前向きな姿勢で翼を広げていこうって。 おかげさまで、フリーになった今も『ごごカフェ』の仕事は続けさせていただいて本当に楽しい。アナウンサーとして原稿を読むのではなく、パーソナリティとして、体験したことや自分自身の意見を伝えられますし、リスナーのみなさんも私という個性を受け止めてくださっている。しかも、毎回約3時間半、好きなだけ喋れるんですよ。 当初は「私1人で3時間半は無理!」とひるんでいたのですが、いざスタートしてみると、後から後から話したいことが湧いてくる。このラジオの経験が、もっと広い世界に飛び出して、自分自身の言葉で何かを伝える仕事がしたいと思うようになったきっかけでもありました。
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