介護職で年収1千万円超、世の中にはびこる「やりがい搾取」に反旗翻す株式会社「土屋」高浜敏之代表取締役CEO
▽活動家として生きる 高浜さんがなぜこのような考え方になり介護事業を起こしたのか。それは自身が障害者をはじめ、労働運動やホームレス支援に活動家として深く関わってきた経験があるからだ。 1972年、東京都生まれ。プロボクサーを目指すなど回り道の後、慶応大文学部に進み哲学を学んだ。そのころ、会社を経営していた父親が末期がんを宣告され、実家は急迫。新聞奨学生と飲食店のアルバイトで学費と生活費をまかなった。 2002年に卒業したが、理想の仕事に巡り合えず、アルバイト生活を続けた。そんな時、哲学者鷲田清一の著書に触れ「ケアワーカーこそ自分が求めていた仕事だという直感」がわき上がり介護の道へ。 ▽障害当事者との出会い 求人誌を見て、たまたま門をたたいたのが現在、参院議員を務める木村英子さんが代表をしていた事業所。高浜さんはそれまで障害者とほとんど接点はなかったが、木村さんの下で重度障害者の置かれていた社会状況や課題に直面することになる。 「障害当事者と出会い、こういう人たちがいるんだ、こういうライフスタイルがあるんだ」と、自立を目指す障害者に驚きを覚えたという。それからは「活動家」を自認し、障害者、ホームレス、労働者の支援に突き進むことになる。
活動からは無報酬。生活のため清掃、介護、家庭教師などのアルバイトを掛け持ちしてほぼ無休の状態。疲弊して活動からも仕事からも離脱し生活保護を受けた時期もあったという。 少しずつ回復し、社会復帰のため認知症のお年寄りが暮らすグループホームで仕事を始めた。その会社で働きぶりが評価されたのか、正社員に登用されることになった。この時、既に38歳。初めての正規雇用だった。 約1年後、施設関係者が介護ベンチャーを立ち上げることになり、誘われて2012年、創業メンバーに名を連ねた。しかし、過度の利益追求姿勢に疑問を感じ独立を決断。会社の経営陣と話し合いの結果、別会社設立の合意がなされ、20年、スタッフ700人とともに土屋が誕生した。 ▽矛盾と向き合う 活動家として理想を追求してきた立場から一転して経営者に。経営と働く者の待遇をてんびんに掛けなくてはならない時、どう折り合いを付けるのか。 「活動で鍛えられた思想がけん引力になったことは間違いない。活動家的精神はまだあるので、そういう価値観と、会社を発展させることの矛盾は常に乗り越えていくという感じですね」と話す。