朝ドラ『虎に翼』で39歳俳優が“自分の間違いに気づいたときの一言”に感動!声を張り上げて
映像演出が突出する瞬間
あんまり安易にたとえるのもあれだけど、そうだな、これまでに筆者が同じように感じてきた映像作品だと、ルキノ・ヴィスコンティの『夏の嵐』(1954年)冒頭。ヴェネツィアのラ・フェニーチェ歌劇場内部を捉えた流麗なカメラワークのことを思い出した。 激動のイタリア史をヴィスコンティ特有のメロドラマとして描く同作もたぶんに政治的で社会的な意義がある名作だが、それ以上に観客たちはカメラの美しいムーヴに魅了されっぱなしである。同様に『虎に翼』のカメラワークだって、社会的メッセージを超えた力強い表現力がある。 新潟篇から東京篇となり、桂場の再登場によってこうした映像演出が突出する瞬間は他にもある。たとえば、戦前から寅子たちが憩いの場にしてきた甘味処「竹もと」での場面がわかりやすい。
桂場と団子の決闘場面
第99回、新潟で心を通わせ、現在交際中の寅子と星航一が会話しているところへ、桂場がやってくる。あからさまに嫌そうな顔をする桂場に対して、「そんな顔しなくていいじゃないですか」とすかさず寅子。 ふたりが個人的に交際することは構わないが、それが社会的な地位にひびくことは注意すべきだと桂場は釘を刺す。ともあれ、彼が竹もとにきた用事はそんな老婆心にあるわけではない。老齢の身からそろそろ店を譲ろうと考えた店主夫婦の下で店の味を学ぶ竹原梅子(平岩紙)の試作品の試食にやってきたのである。 寅子と航一も背筋を正して見守る。緊迫した雰囲気。桂場の前にあんこ団子が置かれる。画面には西部劇風の音楽。打楽器、ギター、コーラスの盛り上げ方が西部劇の中でもイタリアのマカロニウエスタン臭がぷんぷん。桂場はあんこ団子を手にして眺め回し、対峙する。一度寅子の方へ視線をズラし、にらむ。そして一口。目を開いて梅子を見る。静かに深く首を振る。団子との真剣勝負。決闘である。 たかだか団子の試食だというのに、大げさ過ぎはしないか。と思う視聴者もいるかもしれないが、ここではマカロニウエスタンにいくつもの名曲を提供したエンニオ・モリコーネ風の音楽によって、桂場と団子の決闘場面のエモーションを意図的に高めている。