「トレーニングマシンミュージアム」の魅力と奥深さ ゴールドジム行徳千葉アスレチックセンターには黄金時代までの名機がズラリ
ゴールドジム行徳千葉アスレチックセンターは通称「トレーニングマシンミュージアム」と呼ばれています。ここではその背景と魅力を紹介しながら、トレーニングマシンの奥深さをお伝えしていきます。 筋力トレーニングマシンが現在のようにシングルステーション(単一種目のマシン)中心になったのは、1970年、アーサー・ジョーンズ(米国)のノーチラスマシンが爆発的に全米に広がってからです。当時の米国では多くの発明家たちが互いの意地とプライドをかけて熾烈な開発競争を繰り広げていました。1970~80年代は現在に続くナショナル(メジャー)ブランドが次々に誕生した時期であり、またかのアーノルド・シュワルツェネッガーがボディビル界の頂点に君臨しウェイトトレーニングが全米のスポーツ界に浸透した時期でもあります。トレーニング業界全体が夢と活気にあふれた時代でした。
マシンミュージアム
マシンミュージアムには当時の名機がずらりと揃っています。色褪せたテクスチャー、刻まれたキズ、チェーンに浸み込んだオイルの匂い、その一つひとつが使う者に歴史を語り掛け、まるで黄金期にタイムスリップしたようなちょっと不思議な気分を味わえるジムに仕上がっています。
ブレイク前夜
マシンミュージアムにも多くの機種が揃うユニバーサルはウェイトリフター兼ボディビルダーとして活躍したハロルド・ジンキン(米国)によって1957年に設立されました。同社が世に送り出したマルチステーションは一台で複数人が同時にトレーニングでき、さらに「ウェイトスタック式バリアブルレジスタンス」(注1)という画期的な機構を備えていました。また1963年にはマーシー社(米国)が滑車とケーブルを使った器具を発表しています。 一方1948年からコツコツと研究を積み重ねていたアーサー・ジョーンズは、集大成として作り上げたノーチラスマシンでプロフットボールチームから高い評価を受けます。ノーチラスマシンが全米を席巻する一年前、1969年のことでした。