「一生懸命だった人ほどダメージ大きい」能登の豪雨災害から1カ月…輪島の住民の切実な思いとは
どこまで頑張り続けたらいいのか
「いま頑張ろうっていう言葉は、使わないように決めています。皆、震災直後からずっと頑張ってきたんです。この先どこまで頑張り続けたらいいのか、終わりが見えないんです」 そう語るのは震災をきっかけに輪島で結成され、地域の母親を中心に様々な活動を行ってきた「わじまミラクルず」発起人の岡垣未来さんだ。 岡垣さんは豪雨災害の後「これまで自分たちがやってきたことが、すべて逆にご迷惑になったんじゃないか」と考えたという。 「震災の被災者の方々にお渡しした物資が全部ゴミとして処分しないといけなくなって、逆に負担をかけてしまったんじゃないかと。せっかく次のステップにいけると考えていたのに、全部がゼロからのスタートになったのかなと思いました」
仮倉庫でいいからあればと思います
いま輪島の市街地では週に2回、民間団体による物資の配布が行われている。しかし水害で被災した住民は物資を取りに来る余裕がない。そこで岡垣さんは自分たちが物資を受け取り届けに行く活動を始めるつもりだ。 「『いまはできることをひたすらやろう』。これを今後の活動テーマにしようと思っています」 いま被災した住民が必要なのは、物資を置ける倉庫だと岡垣さんは言う。 「震災で建物が公費解体となっても、家財道具などを置ける倉庫がないことが問題点としてあがっています。水害の中で助かった荷物も、住まいを修繕させるのに一時的に預けられる場所がない。これから冬に向けて物資を集めたい。仮倉庫でいいからあればと思います」
一生懸命だった人ほどダメージ大きい
「震災後希望を持って一生懸命奮い立たせてやってきた人ほど、ダメージが大きかったと思います。震災の時よりも(心の)傷は深いですね」 輪島出身の一つ星フレンチシェフ、池端隼也さん。地域の仲間のシェフたちと居酒屋『mebuki-芽吹-』をオープンした直後に、豪雨が輪島を襲った。 「仲間の車が7台くらい水害に遭いました。復興に向けて頑張ろうという街の空気が一瞬にして変わってしまいました」 さらに池端さんが感じるのは住民の経済格差の拡大だ。 「震災のときは皆、被災状況が一緒でした。水も電気もない生活で、皆で頑張ろうって励まし合って生活してきました。しかし今回は水害に遭った人とそうでない人の差が大きすぎて、経済格差は確実に起こっています」