そしてモンゴル語は聞こえてこなくなった……かつて賑わった寺院周辺の変化
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
内モンゴルのシリンゴル盟の政治的、経済的中心地にあるのがシリンホト市だ。シリンホト市は歴史が浅く、新しい中国になってから市として、発展してきた。もともとここにベースイン・スム「貝子廟」(写真特集第7回参照)という寺院があった。長い歴史において、この寺が地域の政治的、経済的な中心地として役割を果たしてきた。
シリンホト市は、「ベースイン・スム」の日本でいう門前町だ。私が子供の時、この寺院周辺は旧市街地のような雰囲気だった。 遊牧民が馬や馬車でやってきて、寺の前にある商店街で買い物をする。モンゴル語で挨拶し、漢民族の商人と片言の中国語で話をして買い物する姿があちらこちらでみられた。今はその商店街はなくなり、立派な広場が建設され、往来する車とバイクと三輪車でいつも渋滞する。 そして、モンゴル語をしゃべる遊牧民の姿が少なくなり、モンゴル語も聞こえてこなくなった。寺周辺は今でも多くのモンゴル人が住んでいるのは間違いないが、一方で外部から流入してきた人口はこの2、30年間で何十倍にも増えた。そのため、モンゴル人の割合は相当減り、本当に少数になってしまった。(つづく) ※この記事は「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第13回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。