浦沢直樹に聞く 33年にわたって描きまくる作品の世界
アイデアは「お風呂に入っている時...」
そんな売れっ子漫画家の浦沢氏に話を伺った。 ──ヒット作が多いですが、そのアイデアはいつどこから生まれるのですか? 浦沢:考えると出て来ない。お風呂に入っている時とか、ほんとにひょんなところから生まれてくる。考えるとわりと理詰めな発想になってしまうので。ぱっと閃いて、なぜそんなものが今、浮かんだんだろうって、説明不可能なところの発想から出てくる。 ──漫画は遊びで、仕事とは考えていないということですが…。 浦沢:5歳の頃、物心着いた時からずっと同じようなことをしていて、今56歳になりますけど、相変わらず同じことをやっているなあ、という感じです。漫画家として果たして就職したのだろうか。たまたま出版社の新人賞(「Return」で小学館新人コミック大賞入選)を獲って、それから原稿依頼が始まって原稿料が発生するようになっただけであって、やってることはほぼ変わらない。 ──自由時間はありますか?ストレスは? 浦沢:月に140枚くらいの原稿を17年間くらいずっと描き続けた。自由時間はまったくないです。その間にバンドをやったりとか、音楽のほうではけ口はあったので、なんとかやれています。 ──本展の見どころを教えて下さい。 浦沢:オリジナルの原画を見てもらうのがいいと思う。月に6回も締め切りがあって、いつも中途半端で(担当者に)渡していた気がする。だから初めて自分の作品を振り返ってみる機会にもなった。展示の準備をしながら、原画を読んじゃうんですよね。おもしろいなって(笑い)。額縁に作品一枚を飾るのではなく、作品の単行本1冊全部があり、その全部が額縁に1つに入っている感じ。生原稿が見られるし、それで漫画の見方が変わるかもしれません。 ──これから漫画家を目指す方へのメッセージがあれば。 浦沢:漫画家って儲かると思っちゃってる方たちがいるわけですね。漫画家で成功してお金持ちになろうみたいなことはゆめゆめ考えない方がいい。それは結果だから。ただ単に漫画がどれだけ好きで、どれだけ描いていたいか、それこそ親御さんがいい加減にしなさい、というぐらい漫画を描いていられるか、そういうような人間でいられるか。それが大事で、漫画家で成功したいとか、それは別の話。少年時代、僕は暇があったら漫画を描いていた。おばあちゃんに100円もらったら、大学ノートを買いに行く。当時の100円で分厚い大学ノートを買ってた。それにずっと漫画を描いていた。仕事で漫画家にないたいと思ったことはない。もともと子供の遊びだったから。 ──漫画家として感性は必要なんじゃないですか? 浦沢:感性は必要だと思いますが、感性はね、好きこそものの上手なれで、どれぐらい漫画を愛しているか、そこにかかっている。それが感性だと思う。 ──大阪の思い出で何かあればお願いします。 浦沢:大阪はたまに遊びに来ていて、本屋さんに僕のコーナーがあったり。大阪の人たちとはリズムが合うのかなと思う。大阪のいちばんの思い出は「太陽の塔」(「21世紀少年」に登場する)に会いにいったら、閉まってて見られなかった。一度もまだきちんと見れてないんですよ。それに尽きます。 (文責/フリーライター・北代靖典)