小倉智昭さん死去 オープニングトークの先駆者だった 「とくダネ!」開始時に提案したこととは…
フジテレビ朝の情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」などでキャスターを務めた小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが9日午後3時8分、膀胱(ぼうこう)がんのため都内の自宅で死去した。77歳。秋田市出身。葬儀は家族葬で行い、後日「お別れの会」を予定している。 【写真あり】10月に集まったばかり…古市憲寿氏、フジ伊藤利尋アナらが自宅訪問「小倉さん、めちゃくちゃ元気でした」 2016年5月に膀胱がんを公表。同月に内視鏡手術でがんを切除したが、全摘はしなかった。病状は進み、18年夏、生放送直前に膀胱から大量出血。同年秋に全摘手術を受けた。その後、21年秋に肺転移が見つかり、23年には腎盂(じんう)がんと診断され、左の腎臓の全摘手術を受けた。 最期の様子について、フジテレビの軽部真一アナウンサーは10日、「めざましテレビ」で小倉さんの訃報を伝えた際に「今月4日に病院で治療の手立てがないとの宣告を受けたそうです。そして、2日後の6日に自宅に戻り、奥様の看病のもと過ごされていましたが、昨日午後、息を引き取ったということなんです」と話した。 1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。競馬実況などで活躍する姿が故大橋巨泉さんの目に留まり、スカウトされる形で76年にフリー転身。TBS「世界まるごとHOWマッチ」などに出演し「1秒間に18文字の原稿を読める男」として脚光を浴びた。 99年からフジ「とくダネ!」の総合司会を担当。この時、小倉さんは司会を引き受けるに当たって条件を出した。それは「冒頭にフリートークをやらせてほしい」。それまで朝の情報番組はニュースなどのVTRで始まっていたが、新たな試みをスタート。見識の深い小倉さんがスポーツや音楽、時事問題などについて持論を述べる時間は視聴者に支持され、オープニングトークは定着していった。時に辛辣(しんらつ)な意見を発し抗議を受けることもあったが“物言うキャスター”として活躍。当初、横並びの世帯視聴率でライバル局の後塵(こうじん)を拝していた番組は、01年2月に初の平均視聴率月間1位を獲得。16年7月28日の放送で4452回目の出演を果たし「同一司会者による全国ネットのニュース情報番組」の放送回数最多記録を更新して、21年3月まで続いた。 がんの闘病でも積極的に発信。 膀胱の全摘手術後、当時一般に浸透していなかった人工膀胱の知識を実体験とともに伝えた。尿漏れパッドが欠かせなくなり、使い終わったパッドの取り扱いに困ったため「男性トイレにもサニタリーボックス(汚物入れ)の設置を」と訴え、大きな反響を呼んでいた。