勅撰和歌集に245首、和歌の天才・和泉式部 恋多き女性のイメージだけど… 細かい技巧も持ち味
「紫式部」と呼ばれるようになったのは…
水野:じゃあ「藤式部」は、いつかなにかのきっかけで「紫式部」と呼ばれるようになる……ってことですよね。 たらればさん:はい。『源氏物語』が宮中で話題になって、その登場人物の紫の上が人々に知られるようになってからのことです。 寛弘五年(西暦1008年)十一月一日、酔っ払った藤原公任が紫式部に対して「ここらへんに若紫はいませんか」(「このわたりに若紫やさぶらふ」)と呼びかける――。これが記録に残る初めての「紫式部」の記録です。 『紫式部日記』によると、公任に軽口をたたかれた紫式部は「光源氏がいねえんだから紫の上がいるわけねえだろ」と思った、と書いています(笑)。 たらればさん:このシーンもきっとドラマで描かれるはずですよね。 水野:どんな風に描かれるか、楽しみですね。最新話(第33回「式部誕生」)は寛弘二年(1005年)ですから、案外もうすぐです。 ドラマの序盤(第7回)で公任から「地味でつまらぬ女」と「雨夜の品定め」をされたまひろが、33回では部屋を訪ねてきた公任と斉信に「わたしのような地味でつまらぬ女は、己の才を頼みとするしかございませぬ」と意趣返しするシーンもありましたし(笑)。 たらればさん:これからどのぐらい『紫式部日記』や『源氏物語』のシーンが盛り込まれていくのか、楽しみです。 特に、『紫式部日記』で紫式部が清少納言のひどい悪口を書いていたことを、どんなふうに描くのかなぁと非常に楽しみにしています(笑)。