勅撰和歌集に245首、和歌の天才・和泉式部 恋多き女性のイメージだけど… 細かい技巧も持ち味
奥深い和歌 細かい技工も持ち味
水野:たとえば、第30回に出てきた和泉式部の和歌「声聞けば 暑さぞまさる蝉の羽の薄き衣は身にきたれども」(和泉式部集)は、どんなところにうまさがあるのでしょうか? たらればさん:「蝉の鳴き声って、じっくり聴いていると余計に暑くなるよねえ。(蝉の羽のように)薄着していても暑いものは暑いしさ」といった意味でしょうか。 これは蝉に擬人法が使われていて、素朴に見えてちゃんと読めば奥深さがある、こういう細かい技巧も持ち味なんです。 情熱的で色っぽい歌もたくさん詠んでいるんですが、古今和歌集の引き歌(古い歌の一部や全体を自分の作品に取り入れたり引用したりすること)を使ったりもしている。 紫式部は、『紫式部日記』に和泉式部を「素行が悪い」「感性の人だ」と書いているんですが、感性だけでなく勉強家で努力家だったのでは、というのが私の意見です。 水野:なるほど。 たらればさん:そうじゃないと、勅撰和歌集に245首入首というすさまじい数の歌を残すことはできないとは思いますし。 水野:たしかに1首選ばれただけでもすごいのに、その数を聞くと、そう感じてきますね。 ドラマ「光る君へ」では、自由に感情のままに詠んでいるだけ、というふうに描かれていますよね。実際は相当勉強しないといけないだろう、ってことですね。 たらればさん:そうでないとあの頃の超上級貴族と恋の駆け引きなんてできないですよね。親王が二人も和泉式部に夢中になっているんですから。 ただ紫式部は「まあ本気を出せば私のほうがうまいけどね」ぐらいに思っていたかもしれないですけど(笑)。
女房たちの「呼び名」はどう決まる?
水野:第33回では、彰子さまのもとへ出仕したまひろが、(父の藤原為時が式部丞<しょう>だったという理由で)「藤式部(とうしきぶ)と名乗るといい」と名づけられましたね。 リスナーさんからは女性の「呼び名」についても質問があり、過去には「藤原為時の娘のまひろです」と名乗ったときもありましたよね。 たらればさん:紫式部も清少納言もそうですが、当時の女房たちの本来の名前がなんだったか、身近な相手、たとえば親兄弟や夫から普段どう呼ばれていたかは、さまざまな研究の積み重ねがあります。 分かっている人もいれば分からない人もいる。紫式部は「香子」、清少納言は「諾子」という説がありますが、それもはっきりした史料が残っているわけではありません。 水野:リスナーさんからは「紫式部」はペンネームみたいなものなんですか? という質問がありました。 たらればさん:「式部」というのは女房名です。父や夫が「式部の丞」で働いている女房につけられています。 たとえば和泉式部も、お父さんが式部省で働いており、夫が和泉守だったから、職場ではそういうふうに呼ばれていたようです。判別できればいいので、そういうあだ名で呼ばれていたのだろうといわれています。 水野:清少納言も「清原」の名字からとって、定子さまが「清少納言」と名づけたってことでしたよね。 たらればさん:『枕草子』によると、定子さまは「少納言」と呼びかけています。 ただ、定子クラスだと女房は20~30人いたはずなので、その場に別の少納言関係者がいたときには「清少納言」と呼ばれていたかもしれません。 これと似た話で、藤式部も普段は「式部」と呼ばれていて、別の式部関係者が居たら(たとえば和泉式部が出仕してきたら)「藤式部」や「紫式部」と呼ばれたのだろうなと思います。