瑠璃光寺五重塔に司馬遼太郎「惚れぼれするおもい」…ザビエルや雪舟も引きつけた優雅な大内文化の象徴
「令和の大改修」が進む国宝・瑠璃光寺五重塔(山口市)に魅せられた作家の思いを紹介する。 【写真】五重塔のそばに立つ司馬遼太郎の文学碑
「(長州は、いい塔をもっている)と、惚れぼれするおもいであった。長州人の優しさというものは(中略)大内文化を知らねばわからないような気もする」
国宝・瑠璃光寺五重塔のそばに司馬遼太郎(1923~96年)の文学碑が立つ。表面に刻まれた著書「街道をゆく」の一節から、司馬が明治維新と大内文化のつながりに思いをはせていたことがうかがえる。
吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允――。司馬は、維新を成し遂げた長州人の「怜悧」で「猪突猛進」な気質の裏に「都会的」な上品さを感じていた。土佐や薩摩の志士からは伝わってこない物腰の柔らかさや潔さの秘密は何か。今から半世紀前に旅先で出会った五重塔を通じ、ザビエルや雪舟を引きつけた大内文化にたどり着く。
「特に戦前は、世間で大内氏を取り上げることが少なかった。地元有志が文学碑を建てたのは、こうした背景も影響したのだろう」。山口市史の編さんに携わった市教委文化財専門監の古賀信幸さん(62)は、こう推測する。
五重塔は室町時代の1442年頃、大内氏が香積寺(現・香山公園)に建立した。中国や朝鮮との交易により財力を蓄え、西国に一大勢力を築いた有力大名。京都を模した街並みの整備も進め、朝廷と大陸の要素が融合した独自の大内文化が花開いた。そして維新後、長州人は欧米列強の文化を取り込み、日本の近代化に向けて突き進んだ。
香山公園を拠点に活動する市観光ボランティアガイドの会の会長、森文子さん(73)は「五重塔の優雅で柔らかな姿は見物客の心を癒やす。他の文化を吸収しながら発展を遂げた山口の象徴です」と力を込めた。