衝撃の“出戻り”に…電撃復帰した大物選手6人
プロ野球界では、球団一筋を貫く選手がいる一方で、1球団のみで現役を全うすることは、そう簡単ではないといえる。一流選手の中には、所属球団を一度離れたのち、かつていたチームに「出戻り」した例も存在する。そこで今回は、古巣球団への出戻りを経験した大物をピックアップする。 【写真】球界に衝撃…まさかの退団を経験した大物選手5人
小久保裕紀(福岡ソフトバンクホークス)
・投打:右投右打 ・身長/体重:182cm/87kg ・生年月日:1971年10月8日 ・経歴:星林高 - 青山学院大 ・ドラフト:1993年ドラフト2位 誰もが予想しない形で、福岡ダイエーホークス(現:ソフトバンク)から離れることになった小久保裕紀。ただ、最終的には古巣に出戻りすることとなった。 青山学院大では4年時に主将を務め、チームを大学日本一に導いた小久保。大学生ながら日本代表でのプレーも経験し、逆指名でダイエーに入団した。 プロ2年目には本塁打王のタイトル(28本)を獲得すると、球界屈指のスラッガーとしてアーチを量産。チームに欠かせない戦力だったが、2003年オフに無償トレードで読売ジャイアンツへ移籍となる。 巨人でも結果を残したのち、2006年オフにFA権を行使し、ソフトバンクに復帰した。復帰初年度の2007年からチームトップの25本塁打を記録、2011年には日本シリーズMVPに輝くなど、主軸打者の1人として打線を牽引した。 また、成績面だけでなく、チームリーダーの役割も担った小久保。名球会入りの条件となる通算2000安打を達成した2012年限りで、現役生活にピリオドを打った。
サブロー(千葉ロッテマリーンズ
・投打:右投右打 ・身長/体重:181cm/90kg ・生年月日:1976年6月1日 ・経歴:PL学園高 ・ドラフト:1994年ドラフト1位 千葉ロッテマリーンズで長らく活躍を続けたサブロー。しかし、わずか数カ月だけ読売ジャイアンツでもプレーした。 PL学園高からドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに入団し、高卒7年目の2002年に初の規定打席をクリアしたサブロー。日本一を達成した2005年は規定打席未到達ながら、打率.313・14本塁打という成績を収めた。 打線の潤滑油としてチームに欠かせない存在となり、ファンからの人気も高かったが、2011年途中に巨人との交換トレードが成立。フロントとの確執も原因の一つと言われ、野球界に衝撃を与えた。 巨人でもまずまずの結果を残すと、同年オフにFA権を行使しロッテに復帰。復帰初年度の2012年は打率こそ.239に終わった一方、キャリアハイとなる78個の四球を選び、出塁率は.346を記録した。 その後は、若手の台頭で徐々に出場機会が減り、2016年をもってユニフォームを脱いだ。現役最終打席でヒットを放ち、巨人の選手からも祝福されたように、誰からも愛される選手だった。