ラグビー元日本代表・田中史朗の″もう一つのワンチーム″「妻がいなかったらもっと早く辞めてました」
’15年W杯で南アフリカ撃破を引き寄せた「小さな巨人」が今季限りで現役引退
「僕が初めてW杯に出た’11年、日本代表は1勝もできませんでした。帰国後、ファンの方に見放された感覚がありました。″このままではいけない″と危機感いっぱいだった僕は、ニュージーランドのハイランダーズに移籍。ほぼ同時期に結婚しました。 田中史朗 愛妻・智美さんを優しげに見詰めて…インタビュー中に見せた仲睦まじい姿【写真】 妻は実業団でプレーしていたバドミントンの選手でしたが、引退してニュージーランドまで付いてきてくれた。人見知りの僕は、彼女がいなかったら異国の地での挑戦は続かなかったと思います。そうなると’19年のW杯にも出場できていなかった。もっと早く、ラグビーを辞めていたと思います」 今季限りで現役を引退した身長166㎝の「小さな巨人」田中史朗(39)は、FRIDAYがカメラを向けると愛妻・智美さん(35)を力強く抱きかかえた。 田中は伏見工業(現・京都工学院高校)、京都産業大学を経て、’07年に三洋電機ワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入団。’08年から日本代表に参加し、’19年の日本大会まで3大会続けてW杯に出場した。 ’11年12月に結婚した智美さんは三洋電機時代、五輪代表の潮田玲子(40)らとプレーしたバドミントンの選手。その後、ヨネックスで現役を続けていたが、夫の海外挑戦を機にラケットを置いた。 「すごく大きなことに挑戦する人に、自分の経験をプラスしてサポートしたいと考えました」とは智美さんの弁である。 酒を飲まないと英語が出てこない田中に対し、社交的な智美さんは積極的に周囲に話しかけ、すぐにニュージーランドでコミュニティーを築きあげ、田中がプレーしやすい雰囲気を作った。 妻のサポートを頼りに世界一のリーグ、スーパーラグビー(NZ、豪州、南アの強豪クラブが参戦)に日本人として初めて挑戦した田中は、’15年に初優勝を経験するなどメキメキと力をつけた。 ’12年4月にヘッドコーチに就任したエディー・ジョーンズ(64)が率いる日本代表でも、中心的な存在となった。’15年W杯ではW杯を2度制している強豪の南アフリカ代表を34―32で撃破。「史上最大の番狂わせ」と世界中を驚かせた。 伝説となったこの南ア戦で、体重71㎏の田中が120㎏近くある巨漢選手にタックルにいくも弾き飛ばされて1回転。それでも恐れずにタックルし続けた姿はラグビーファンの心に刻まれている。 「日本代表のジャージーを着たフィフティーンの中に、一人でも中途半端な気持ちの人がいたら勝てない。だから、年齢関係なく、言うべきことは言い合いました。年下に食ってかかられることを考えたら僕もイヤでしたけどね。エディにも直接、意見していました」 ’15年W杯では南ア戦を含む3勝をマーク。国内にラグビーフィーバーを巻き起こしたが、田中は日本に凱旋してまず、智美さんに「ごめんなさい」と謝った。 「世界で勝てない日本ラグビーを何とかしたい、という一心でスーパーラグビーに挑戦しました。’15年大会で結果が出て″罪滅ぼし″にはなりましたが……僕の身勝手な行動で振り回してしまった妻に申し訳ないと思ったんです」 一方で智美さんは、そんな田中の苦しみを誰よりもよく理解していた。 「南アフリカに勝った後は『燃え尽きちゃった』と言っていて……。そこから’19年までの4年間は心身ともに本当にキツそうでした。主人は私がバドミントンをしている姿が好きだと言ってくれていたので『彼が奮起するきっかけになれば』とバドミントンを再開しました」 ’15年、’19年大会での日本ラグビーの快進撃を支えたのは、他国を質量ともに凌駕するハードワークだった。30代半ばになっていた田中の身体は悲鳴をあげ、朝、起きられない日が続いた。代表合宿を終えて家に戻るたび、「もう限界」と妻に弱音を吐いた。 「何度、『もう辞めていい?』と言ったことか。その度に妻は『もう少し頑張ろう』と励ましてくれました。そして、その言葉が欲しい自分もいました。妻が尻を叩き続けてくれたからこそ、ここまでやれたんです」 柔らかな言葉をかけつつ「代表から必要とされているのに『辞めたい』なんてないだろう」と智美さんは思っていたという。一緒にランニングするなど、行動でも夫を励まし続けた。 そして――田中が引退を決めたとき、今度は智美さんが「『辞めていいよ』と言えずにごめんね」と謝った。 W杯で初めてベスト8進出を果たした’19年の日本代表のチームスローガン「ワンチーム」は、その年の新語・流行語大賞になった。そんなジャパンの躍進を支えたのは、田中と智美さんによる「もう一つのワンチーム」だったのだ。 『FRIDAY』2024年8月9日号より 取材・文:田村一博(元ラグビーマガジン編集長)
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