「抱きしめてTONIGHT」大ヒット 紅白は出場拒否 前年落選に「なめているのか」 話の肖像画 歌手・田原俊彦<19>
《昭和62年、NHK紅白歌合戦に「落選」した。55年から7年連続で出場し、白組の〝顔〟として長く存在感も示してきただけに、「落選」は自身や周囲に大きな衝撃を与えた》 【写真】艶やかなパープルの照明のなか、キレキレの足上げを披露する田原俊彦 「一体、どうした?」って、驚きました。「なにゆえに?」と。僕自身の人気がパワーダウンしていたのは分かっていたけど、シングルは間違いなく歌謡番組「ザ・ベストテン」やオリコン(のランキング)にも入っていた。時代の流れもあったんでしょうけどね。 自分はもちろんショックを受けましたけど、ファンの方のショックも相当、強かったはず。おふくろもショックを受けたし…。 でも、これで逆に、僕のハートには火が付きましたね。もうそろそろ引退しようかな、とも思っていたけど、やる気が出てきた。 紅白歌合戦には実は〝出場枠〟があるようなんです。〝レコード会社枠〟とか、何とか枠、みたいな。紅白は今、何をやっているのか、というぐらいつまらないし、視聴率で結果も出ていないけど、「何をしたら面白いのか」というのはその時代、時代であるはずなんですよ。 ただ、僕を落としたことについては「そういうことなんだ、もっと力を付けないといけないんだ」と思うところもあったし、「なめるなよ、この野郎」という思いもありました。 《翌63年には「抱きしめてTONIGHT」が大ヒット。NHKから再び、紅白出場を打診された》 「ほら見たか」と思いましたよ。「なめているのか」ともね。出場を断ったら、そのことを取り上げたメディアが、足を高く上げてキックする僕の写真を使っていました。〝NHKを蹴った〟みたいな。ムチャクチャですよね。 でも、僕は相手から〝線を引かれたな〟と思ったら、頑固なんですよ。前年に1度、出場させないと決めたのに、どんな理由か知らないけど、また来いっていうのはね。「オレは犬や猫じゃないぞ。なめているのか」と。27歳の子供ながら、そう思いましたね。 出場拒否については周りから相当、反対されましたけどね。「ダメだよ、出場しなきゃ」などと、事務所社長だったジャニー喜多川さんや姉のメリーさんからかなり、反対されました。ある関係者には一応、相談した。「おい、お前、出ろ」と言われ、口では「ハイ」と言いましたけど、心の中では「出ません」と思ってました。