ものまね界のプリンス・青木隆治、”テレビ出演激減”の理由を激白「ものまねはものまねでしかない」
“ものまね界のプリンス”の異名を持つアーティスト・青木隆治のインタビューの様子が、「ABEMA NEWSチャンネル」の厳選したエンタメ情報を届けているニュース番組『ABEMAエンタメ』にて放送された。 【写真】今後の目標を語る青木隆治、ほか番組カット【2点】 “ものまね界のプリンス”の異名を持つ青木は、男女の垣根を超えた“七色の歌声”とその甘いマスクで、ものまね番組を席巻。昨年でデビューから25周年を迎え、記念ライブのため全国各地を飛び回っている。 青木はアーティスト活動を目指すも、なかなか所属先が決まらずもがいていた頃、アルバイト先にものまね番組のプロデューサーが来店。その場で美空ひばりのものまねを初披露し、すぐに番組出演のオファーがあったのだという。しかし「親父(古畑任三郎ものまねでお馴染みのツートン青木)と同じ道に行きたくないし、ものまねに興味がない」と1度は断ったことを明かし、「でも、当時はすべてがうまくいかなくて、もがいていた」と番組出演を決意したことを振り返った。 また、ものまね番組初出演時について、青木は「当時は生意気だったし、顔だけテレビに映ればいいなと思っていただけで、ものまねしていないんです(笑)。ただ、ポルノグラフィティの『サウダージ』を歌いに行っただけ(笑)。正直に言えば、ものまねへのリスペクトは全くなかった。自分の声で勝負できない人たちだと思っていた」と打ち明けた。 ものまねをくさしていた青木だったが、ものまねタレントのコロッケとの出会いによって、「この人みたいになりたい」「超えたい」と、ものまねを芸として追求することを決意。その後、ものまね番組の常連となり、”ものまね界のプリンス”として一世を風靡した。 念願だったアーティスト活動もスタートさせると、ものまねとアーティストの二足の草鞋での芸能活動は多忙を極める青木。青木は「ひばりさんや、ものまねメドレーをやっていく中で、自分のブームが2年で過ぎ去ると感じていた。それなら、自分がやりたいことに振り切っていこうと考えて、ものまねの仕事をあまり受けなくなった」と告白した。 アーティスト活動に専念することを決意した中、志村けんとの出会いが訪れる。青木は「志村さんから、『ひばりさんのものまねをいろんな番組や全国各地でやって飽きたでしょ。ダメよ。やり続けないとダメだからね』と言われた。そして、『俺がなんで“バカ殿”や“変なおじさん”をやり続けているのか。これだけやっても、まだ知らない人がいるんだよ。むしろ、志村けんという存在すら知らない人がいっぱいいるんだよ。だから、俺もずっと同じことをやっているんだ。あなたも続けなさい』と言われた。その翌年には、ものまね番組に復帰しました。志村さんの言葉がなかったら、戻ってなかったかもしれない」と、志村から金言を受けて、ものまね番組に復帰したことを明かした。 現在もものまねを続け、ライブをメインに活動している青木だが、テレビ番組の出演がピーク時から激減したことにより、青木の名前で検索すると、「テレビに出ない」の文字が。このことについて、青木は「『テレビから干された』と言っている人たちがいると聞いたが、本当に干されていたらこの取材も来ていないし、番組のオファーも来ないじゃないですか」とコメント。 さらに「すごくテレビに出ていた時でも、月に2~3本しか出ていなくて、年間でも30~40本くらいなんです。だから、結論は“そもそもが出ていない”なんです(笑)」と語った。また、取材スタッフから「テレビに出なくなった理由があるわけではない?」と問われると、青木は「全くないですよ。呼ばれたら出ます。ただ、ものまねはものまねでしかなく、番組のコンセプトに合った企画でしか呼ばれないものだと僕は思う。それならば、いろんなことをやっていった方が、いろんな角度で呼んでいただけるのかな?と思う」と答えた。 最後に、今後の目標について青木は「歌い続けていくことかもしれない。かつてものまねを馬鹿にしていた自分が『今が一番楽しい』と思えているし、全国を回らせていただけている。ずっと歌い続けて、どこでも歌い続けていきたい」と語った。
ENTAME next編集部