【Playback箱根駅伝】第33回/壮絶な“日中”対決は日大が14年ぶりに制す シード制度導入、国士大が初出場
2024年に箱根駅伝は第100回大会を迎える。記念すべき100回に向けて、これまでの歴史を改めて振り返る『Playback箱根駅伝』を企画。第1回大会から第99回大会まで、大会の様子を刻んでいく。(所属などは当時のもの) 第33回箱根駅伝の総合成績&区間賞をチェック!
第33回(1957年/昭和32年)日大が戦後初、14年ぶりに制す!国士大が初出場果たす
今大会からシード制度が初めて導入。前回の成績により中大など上位10校は予選会を免除され、初出場の国士大など5校が予選会を突破した。また、順大は4位で通過したが、本大会でチーム編成が不能となったため、次点の神奈川大学が繰り上がりで出場となっている。 レースは前年の準優勝メンバー8人を残した日大が2連覇中の中大を抑え、戦後初となる14年ぶり7回目の優勝を飾った。 1区こそ中大に先行を許したが、2区の岸国雄が区間新記録をマークしてトップに立つと、3区の瀬戸功夫も区間賞の快走。ライバルの中大との差を着々と広げ、5分20秒差をつけて戦後初の往路優勝を果たした。 日大は復路も盤石。前年のメルボルン五輪のマラソンで5位入賞を果たしたエースの川島義明が8区に登場し、区間2位ながら2位・中大との差を3分20秒から9分40秒に広げて、優勝を大きく近づけた。 9区では愛敬実が途中疲れてコースに座り込むアクシデントもあったが、最後は1952年ヘルシンキ五輪のマラソン代表の内川義高が区間2位の力走で締めくくり、大観衆で埋まる銀座の読売新聞社前にフィニッシュした。 2位は8分42秒差で中大。復路では6、7区で連続区間賞を奪う意地を見せた。ここで日大との差を詰めたが、8区の渡辺和己が脚にケイレンを起こす不運があり、大きく差を広げられたのが影響した。 立教大は7人が区間5位以内で走る堅実な継走で、1934年の第15回に初参加して以来最高の3位に躍進。一方で戦後の復活第1回大会(第23回大会)を制した明大は2年連続14位と不振。第34回、第35回は出場に届かず低迷期に入った。 参考文献:箱根駅伝90回記念誌(関東学生連盟)
月陸編集部