<令和に歴史を刻め>選抜2校の進撃 第1部/上 大分商 創部100年名門が挑む /大分
大分が誇る古豪の復活だ――。センバツの切符を23年ぶりに勝ち取った大分商。朗報を知った多くの県民が、伝統校の甲子園出場を喜んだ。1921年創部の大分商の甲子園出場は過去20回と県内最多だ。「大商(だいしょう)」の愛称で親しまれ、甲子園では5度の8強入りを果たしている名門野球部に県民は期待を寄せている。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 昭和の時代、大分商は「打の津久見」「守の大商」と「津久見・大商時代」を築いた。特に昭和30~40年代には、両校がほぼ交代で甲子園に出場する黄金期だった。 ところが、平成に入ると30年間で甲子園出場は3回のみ。明豊や藤蔭など私立の強豪校に水を開けられ、源田壮亮(西武ライオンズ)、森下暢仁(広島東洋カープ)などのプロ選手を輩出しながら甲子園には届かなかった。 だが、令和に入った今年、大分商は絶対的なエースを擁して全国への道を切り開いた。川瀬堅斗投手(2年)。エースで5番、ソフトバンクホークスに所属する兄(晃)を持つ。 最速147キロの直球が武器の剛腕は、秋の県予選と九州大会を通じて防御率1・68と打者をねじ伏せた。九州大会では登板した3試合で完投し、22三振を奪う活躍を見せた。 新チーム結成時に、川瀬投手は主将に立候補。「誰よりも頑張る姿を見せて、選手を引っ張りたい」。強気な性格がのぞく。 川瀬投手の闘志にナインも応えた。抜群の投手力に加えて、今年のチームは、堅いセンターラインを築いた。センターの渡辺温人選手(同)は、50メートル5・75秒の俊足を生かした守備範囲の広さが持ち味。ショートの岩崎竜也選手(同)は、守備全体の司令塔だ。打者の狙いや走者の有無から、守備陣それぞれのポジションを細かく指示。的確な位置取りでヒット性の打球を正面で捕れるようにコントロールする。 そして、川瀬投手を生かしたのが末田龍祐捕手の起用だ。末田捕手は夏まで投手。しかし、秋の大会で川瀬投手の女房役へ。「投手出身ならではの強い肩と、投手の心理を理解したリードが、きっと川瀬投手を支えてくれる」と渡辺正雄監督がコンバートを決めた。 この起用が当たった。大分商は秋の県予選をノーシードから勝ち上がって準優勝。九州大会でも決勝まで駒を進める快進撃を果たし、久しぶりの甲子園出場を決めた。 まもなく始まるセンバツに向けて、チームは川瀬投手を中心とした守備力に磨きをかける。公立高校でグラウンドの使用時間が限られるが、ノックを中心とした練習で、守備力を徹底的に鍛え上げる。 大分商は今年、創部100年を迎える。令和という新時代に、部員たちは野球部の新しい歴史を刻むつもりだ。川瀬投手は力を込める。「目標は過去最高のベスト8を超えること。僕たちの力で、歴史を塗り替えたい」【白川徹】