女を超え、女にこだわり 詩人・新川和江さんが生活の中で紡いだ言葉
8月10日に心筋梗塞(こうそく)で亡くなった詩人の新川和江さん。詩を愛し、詩を愛する人を愛したその95歳の生涯は。 日々の暮らしから生まれる感情を見つめ、柔らかく紡いだ詩「わたしを束ねないで」は中学の国語教科書に載った。合唱曲「春」の歌詞で知った人もいるだろう。私にとっては児童書「ひみつの花園」の翻訳者だった。 やさしい言葉を連ねた作品は、詩にふだん接しない人たちの心にもしみ通った。思想的、観念的な詩が主流だった頃、評価されない時もあった。しかしこまやかな気遣いと包容力は詩壇でも好かれ、1983年から女性初の日本現代詩人会会長も務めた。 同年、女性に発表の場をと仲間と季刊詩誌「現代詩ラ・メール」を創刊した。「女を超え」「女にこだわり」「私たち自身という〝海(ラ・メール)〟を模索」(創刊あいさつから)。作品を〝女性ならでは〟と評価する男の視点への女からの宣言だった。 有名無名の詩を読むのが大好きで、すべてに好奇心旺盛。「避雷針になりたい。雷が落ちるとどんな感じか知りたいわ」と言ったこともあった。 「きちんとした生活の中でしか詩は生まれない」「台所の片隅で書きなさい」と周囲に説くも、「ぬかみそ臭いのはダメよ」と生活感を嫌った。鳥の名一つでも百科事典を調べ、自分の中で実像を結んで立体的になった言葉だけ使うことを心がけた。 08年に郷里の茨城県結城市で小中高生対象の詩のコンクールを創設。東京では詩の教室を主宰、晩年まで詩の裾野を広げようと心を砕いた。 息子の博さん(69)は、母が文字なら自分は音だ、と音楽業界で生きてきた。30代のころ、女性ディレクターに「お母様の作風と同じね」と言われ、愕然(がくぜん)とした。「思い切り遠くに来たつもりだったのに」。しかし最近思う。「僕も母も、生活を描こうとしてきた。文字と音は、大した違いじゃない」(織井優佳)
朝日新聞社