“三沢さんに見守られ” 斎藤彰俊がリングに別れ「わが心、一点の雲なし」団体やファンとともにゆかりの故人へ感謝
「プロレス・ノア」(17日、ドルフィンズアリーナ) プロレスリング・ノアの斎藤彰俊が17日、地元・名古屋のドルフィンズアリーナで丸藤正道を相手に引退試合を行い、34年間の現役生活に終止符を打った。2009年に三沢光晴さんの最後の対戦相手となった斎藤は、三沢さんのガウンを左手に抱えて入場。三沢さんのカラーである緑のテーピングを左手首に巻いて戦った。丸藤に敗れて最後のリングを降り「斎藤彰俊は幸せでした」とすがすがしい笑みを浮かべた。 斎藤は三沢さんの必殺技だったエメラルドフロウジョンをカウント2で返し、緑のリストバンドを両手首に装着した丸藤のエルボー連打を浴びると絶叫。最後は三沢さんが乗り移ったかのようなランニングエルボーでマットに沈み、3カウントを聞いた。 セレモニーでは妻の佳余さん、長男の雅大さん、雅大さんの妻のアナさんが花束を贈呈。斎藤は団体やファンとともに三沢さん、青柳政司さん、小林邦昭さん、バイソン・スミスさんらゆかりの故人に感謝し、「倒れぬ、疲れないのがプロレスラーだ!箱舟に乗りし人生、わが心、夜空に輝く月に一点の雲なし」と最後の言葉を述べた。 バックステージでは、丸藤を対角線に見てから「(涙を)こらえるのが必死でした」と告白。最後にあいさつした時には「空耳かもしれないですけど、『これだけ長い間、よく頑張った』って何となく聞こえました」と三沢さんの声が届いたという。運命の巡り合わせで、リング禍という形で三沢さんを送ってから15年。斎藤は天で見守る三沢さんにねぎらわれてリングを去った。 ◆斎藤 彰俊(さいとう・あきとし)年齢非公表。仙台市出身。水泳、空手を経て1990年にデビュー。91年、W★ING旗揚げに参加。92年、新日本参戦。反選手会同盟(平成維震軍)結成。2000年、ノア参戦。06年、ノア入団。12年、フリーとなるも継続参戦。14年、ノア復帰。20年、デビュー30周年記念試合を行う。得意技はスイクルデス、デスブランド、デスパニッシュ。主なタイトル歴はGHCタッグ王座(5度)、世界ヘビー級王座。177センチ、123キロ。