<フィギュアスケート>羽生結弦 金メダルの裏に橋本団長の喝!
「羽生選手が失敗しなければ、チャン選手は素晴らしい演技をしたかもしれない」。橋本団長がそう言うと、羽生も頷いていた。羽生は自分の内側から、あるいはチャンの姿から、五輪に住む魔物を見たのだった。 「羽生選手はオリンピックというものの、恐ろしさを実感したと思う。ただ、自分では(本当の意味で)金メダルを取ったと思っていないだろう。その思いこそが今後につながる」 この橋本団長の言葉通り、羽生はすでに次の一歩を踏み出している。スケート選手としては、エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)がお手本だ。荒川静香、本田武史ら仙台の選手が出場した1998年長野五輪後に、仙台で起きたフィギュアスケートブーム。先に姉が通い始めたフィギュアスケート教室に、やがて羽生も通うようになり、7歳のとき、2002年ソルトレークシティ五輪で、銀メダルを獲得したプルシェンコに火を着けられた。 「プルシェンコ選手は、僕にとってあこがれの選手で、今もあこがれている。個人戦でプルシェンコ選手が棄権したのは少し残念だったけど、団体戦で一緒に滑らせていただいて、それ自体が夢のようだった。今回、僕はSPではうまくいったのに、フリーでは未熟さがでてしまった。今後はプルシェンコ選手みたいに、どんなときでも、どんな場所でもノーミスでできるくらい、強い選手になりたいと思っている」 初出場の五輪で頂点を極めた19歳は、自身の持つ無限の可能性を自覚しながら、惜しみない努力で前進していくだろう。 「日本の男子シングルで初めて金メダルを取ることができて本当にうれしい。最高の評価をいただいた。これからも、いち日本人として、日本人らしい人間になれるように努力していきたいと思っています」 リンクに入るときと同じように一礼して会見場に入り、「お願いします」と言って着席した羽生は、約30分の会見を終えたときも、「またお願いします」と頭を下げてから出て行った。橋本団長の厳しい“喝”も好意的に受け止めている羽生。折り目正しい見かけの裏に潜むメンタル・タフネスが、若き金メダリストの根底にある。 (文責・矢内由美子/スポーツライター)