史上最高の「3人」が所属、ワールドカップで初の「3位」に【中村敬斗と伊東純也がゴール量産「フランス人の誇り」ランスの真実】(1)
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、伊東純也と中村敬斗、2人のサッカー日本代表選手が背負う「フランス人の誇り」。 ■【映像】「すごすぎますね」「覚醒モードに入ってる」シュートの天才が「4戦連発」ゴール
■南野拓実が「首位モナコ」牽引、4位には…
フランス「リーグアン」で日本人選手の活躍が目立っているのは、本当にうれしい。 代表日程の中断を前に、「あの」パリ・サンジェルマンを抑えて首位に立っているのはASモナコである。これは厳密には「フランス」のクラブではない(もちろん、所在地がモナコ公国であるからだ)が、南野拓実が攻撃の重要な中心選手となり、6勝1分、無敗で首位のチームを牽引している。 だが、私がもっとうれしいのが、「スタッド・ドゥ・ランス」を日本の2人のウイングプレーヤー、伊東純也と中村敬斗が牽引し、4勝2分1敗で4位という好位置につけていることだ。伊東は2得点1アシスト、中村は4得点1アシスト。伊東のスピードと中村のテクニックがゴールに直結するのが、このチームの強みだ。 なぜ私が「うれしい」のか――。それは「スタッド・ドゥ・ランス Stade de Reims」が、長くフランス人の誇りであり、サッカー愛を象徴するクラブだったからである。 このクラブは1955/56シーズンにスタートした「欧州チャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)の第1回大会と第4回大会の決勝進出クラブであり、伝説的なレアル・マドリードに敢然と挑んだクラブだった。
■攻撃に次ぐ攻撃のサッカーで「劣等感」払拭
それだけではない。このクラブは、1958年にスウェーデンで開催されたワールドカップで3位になったフランス代表の中心をなし、6試合で23ゴールという得点力を示した。もちろん、3位という好成績も初めてのものだったし、何より攻撃に次ぐ攻撃のサッカーが、それまでイングランド、ドイツ、イタリア、スペインだけでなく、ベルギーなどにも劣等感を抱いていたフランスのサッカーに大きな誇りをもたらした。 その後、1960年代から1970年代のなかばにかけて、フランスのサッカーは長い低迷期に入る。1970年代後半にミシェル・プラティニを中心とする新しい世代が台頭して、1980年代の「中興」を成し遂げ、1998年には自国開催のワールドカップで初優勝を飾り、世界のリーダーの一角を占めるようになるのだが、それでも、オールドファンは1950年代の「スタッド・ドゥ・ランス」と1958年の代表チームのことを語り、親たちからそうした話を聞かされて育った若い世代も、「ランス」の名前を、そうした誇りとともに思い浮かべるのだ。
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