“バウムクーヘンの島” で学ぶ戦争 似島がミュージカルに 日本初のバウムクーヘンが販売されたのは「原爆ドーム」だった・・・
原爆が投下されると「軍の島」は臨時の野戦病院になりました。やけどを負った約1万人の被爆者が運び込まれ、多くが島で埋葬されました。 兵士が歩いた当時のままの桟橋の土台。「軍の島」の痕跡を訪ねながら、石鍋さんは、似島とバウムクーヘンの不思議なつながりを実感しました。 俳優 石鍋多加史 さん 「ずいぶん似島が戦争と関わりが深くて、そして原爆もあった。きょう、本当によくわかりました」 検疫所や収容所があった場所は、「ユーハイム似島歓迎交流センター」に生まれ変わっています。石鍋さんたちはリニューアルセレモニーにも出席しました。 原作を書いた広島市の児童文学作家、巣山ひろみ さんも一緒です。 俳優 石鍋多加史 さん 「この似島にまいりまして、海の香り、それからこの似島の風を感じました。また新しい舞台ができるのではないかと思っています」 センターの命名権を取得したのは、神戸の「ユーハイム」。カール・ユーハイムが創業した洋菓子メーカーです。 「ユーハイム」(創業者 カール・ユーハイム) 河本英雄 社長 「われわれユーハイムの原点は本当にこの似島。ミュージカルで戦争の裏にある友情や元気をすごくもらえました」 石鍋多加史 さん 「初めてです。こんな大きいと思わなかった」 交流センターにあるクスノキ。ミュージカルにも登場します。樹齢は120年。バウムクーヘンが初めて作られた日も、ここに立っていました。 演出家 磯村純 さん 「この木がずっとね。カール・ユーハイムの時代から見守っている、島を…」 原作を書いた児童文学作家 巣山ひろみ さん 「ミュージカル関係者のみなさんがこんなに強い思いを持って来てくださるなんて。世界って広がるんだなと思って」 俳優 石鍋多加史 さん 「似島の空気いっぱい入っています。あしたでも舞台やりたいです」 石鍋さん以外にも俳優たちはそれぞれが似島を訪れ、当時のユーハイムと同じやり方でバウムクーヘンを焼き、歴史を学んできました。
【関連記事】
- 「『ママ来たよ 起きて』 叫んだけれど息子(7)は息を引き取った」 明かされた両親の思い 眠気におそわれ赤信号で… 男(63)の後悔と下された判決
- アンガールズ・山根さん「未知の昆虫」大発見!その名は「モトナリ」 テレビ番組ロケで新種を捕まえる 国際的学術誌も認定「日本のコメディアンが発見した」
- 「瀬戸内海でも津波はすぐ来る」能登半島と“同じタイプ” 海底活断層が複数存在 地盤隆起のおそれも 広島湾の海底活断層は危険度“最高ランク”(Sランク)評価
- 「愛しているからするんだよ」次第に“洗脳”されていき…10年続いた塾講師からの性被害
- 「パンを食べながら私たちの後ろについて来ている男の子がいる」そのとき防災無線が流れ… 昨夜から行方不明だった男児(8)と判明 保護され家族の元へ