『あぁ、ここでは生活できない』津波で変わり果てた家に嘆く住人 小2の孫が津波にのまれるも救出できた男性は『孫の命を助けることしか頭になかった。津波は恐ろしい』
石川県能登地方で発生した最大震度7の地震から1月8日で1週間。被災地では雪が降る中、今も懸命に救助活動が行われています。津波が押し寄せて大きな被害を受けた能登町白丸地区の様子を取材しました。 【写真を見る】車載カメラが捉えた「津波が押し寄せる瞬間」
1月7日、厳しい寒さと雪に見舞われた被災地。その中でMBSのカメラが入ったのが能登町の白丸地区です。 (記者リポート)「こちら津波の影響でしょうか、家の1階部分がむき出しになっています」 地震の直後に津波が押し寄せ、大きな被害を受けました。その瞬間を捉えた車載カメラの映像では、車で避難しようとしていた男性が、道を歩く杖をついた女性に慌てて声をかけます。 (男性)「地震が起きた。波が来るから行かないと!乗って乗って!」 その間にもザーッという波の音が大きくなり、後方のカメラには、あっという間に道路をのみこむ灰色の津波の様子が記録されていました。地元の人によりますと、この地区約100軒のうち8割もの家屋が津波の影響を受けたといいます。
「避難して間もなく大きな津波が押し寄せてきた」
坂元信夫さん(67)は、帰省していた孫3人と逃げるため、車を止めていた小屋の中へ入った時に津波に襲われたといいます。 (坂元信夫さん)「中2、小6、小2の孫、そして私とこの小屋に避難した。避難して間もなく大きな津波が押し寄せてきた」 その津波に小2の孫がのまれ、かろうじて引き上げたといいます。 (坂元信夫さん)「急いで引き上げて、意識がなかったものですから人工呼吸して、何回かしたうちにまぶたがパカッとあいたもんで、『あぁ助かった』って。孫を助ける、命を助けることしか頭にありませんでした。(津波は)恐ろしいですね」
「悔しいですけれど、どうしようもないですわ…」
そして取材班は、仲良くしていた近所の女性が犠牲になったという寺岡勇紀夫さん(81)に出会いました。 (寺岡勇紀夫さん)「地震は今まで(何度か)来たけれど、それでも何とか耐えていたんですから。地震だけでは(知人も)死ぬとこまでいかなかったと思いますよ。津波も来たから余計…。悔しいですけれど、どうしようもないですわ…」 酒やたばこの販売をしていた寺岡さんの自宅も大きな被害を受けました。 (寺岡勇紀夫さん)「水が来て(壁を)すっぽ抜いてしまったんですよ。これ、軍手が天井の照明器具に挟まっているということは、そこまで水が来てたってことでしょ」 天井近くの壁にはビールケースが突き刺さっています。水はこの高さまで押し寄せたということです。 (寺岡勇紀夫さん)「最初は地震で揺れたでしょ。揺れた時間も長かったです。その時はまだ家はしゃんとしていましたよ。15分くらい大丈夫だったんです。そして水が外に出ると(水位が)ドンドン上がってきましたね。(津波が)来るのが本当に早かったですよ」 家族は無事、避難することができましたが、1階部分は完全に水没。家具や仏壇、大切にしていた輪島塗の品など、室内のものいっさいがっさいが泥まみれになり流されてしまったといいます。寺岡さんは再びこの土地で新たに生活を始める気力は残っていないと話します。 (寺岡勇紀夫さん)「ショックというか、まぁしょうがないな。これが人生の運命なんだろうなという。津波が来てみて『あぁ、ここでは生活できないな』と、そういう感じです。夢にも思ってませんでしたね。だって人生80年生きてきた中でこんな津波が来たことなかったんですから」