《ブラジル》現地被爆者からも喜びの声 日本被団協にノーベル平和賞で「同じ志、自分の事の様に嬉しい」
「我々が死ぬ前になんとか核廃絶を実現してほしい」
ノルウェーのノーベル賞委員会は11日、ノーベル平和賞を被爆者の全国組織、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表した。「ふたたび被爆者をつくるな」と核兵器廃絶を訴え続けてきた活動が評価された。これを受け、同じ志を持って当地で活動を展開してきた在ブラジル原爆被爆者の会の渡辺淳子さん(81歳、広島県出身)と盆子原国彦さん(84歳、同)に喜びの声を聞いた。 ブラジル被爆者平和協会を1984年に設立して会長として長年、核兵器廃絶を訴え続けてきた森田隆さんは今年8月12日、行年100歳で老衰のために亡くなった。渡辺さんに「森田さんにこの朗報を届けたかったですね」と尋ねると、「森田隆さんはやるべきことをやって安らかに眠られました。今天国であの弾けるような笑顔を浮かべて『よかったのう』と喜んでいることでしょう」と語った。 渡辺さんは1967年ブラジル移住、38歳で一時帰郷した際、両親から初めて自分が黒い雨を被っていた被爆者であることを知った。その後、森田さんから「ブラジル被爆者平和協会を手伝ってくれ」と言われ、活動に参加するようになり、森田さんと共に日本被団協の東京事務所にも数回訪れたという。「日本でもブラジルでも、私たちは同じ思いで活動をしてきました。戦争という間違いを繰り返してほしくない。今起きている戦争や紛争を即やめてほしいと心の底から願っています」と強調した。 渡辺さんによれば同被爆者平和協会は1984年に17人の被爆者が集まって発足し、自ら被爆者だと申告した人は270人に上るが、うち日本政府が被爆者手帳を発行したのは60人にすぎないという。
盆子原さんも「被団協のノーベル平和賞受賞は、自分の事のように嬉しい。我々の志はまったく同じ。ロシアのプーチン大統領は今もウクライナで原爆をちらつかせて、世界を恐怖に陥れている。一日も早く核兵器禁止条約に、日本も批准してほしい。5月に岸田首相がサンパウロを訪れた時に会って『早く批准を』とお願いしたが、首相は『核を持っている国々をその条約に入れるための努力をしなければいけない。そのために日本政府は行動している』と答えたので、本当に残念に思っていた」と述べた。 「原爆投下から79年、それに反対を言いつづけてきた被団協にノーベル平和賞が授与されたのは、同委員会の皆さんが世界に対してその運動に共感しているという意思表示だと思う。被爆者は高齢化している。我々が死ぬ前になんとか核廃絶を実現してほしいと切に願う。我々も日本の被爆者と手を取り合って平和のためにさらに尽くしていきたい」と力強く語った。