妹尾和夫 蜷川幸雄さん悼む「あれだけ役者の気持ちわかる演出家いない」
あれだけ気配り目配りができる演出家はいない
蜷川さんの思い出について語る妹尾和夫さん(電話音声)
国際的な演出家で文化勲章も受章した蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんが12日午後、肺炎による多臓器不全のため死去した。80歳だった。大学時代に蜷川さん演出デビュー2作目の芝居を目の当たりにした影響で俳優となり、後に自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で何度もインタビューを行うなど親交のあった劇団パロディフライ主宰の妹尾和夫さん(64)は「あれだけ役者の気持ちがわかって、気配り目配りができる演出家はいない。そういうことが全部読める方でした」と故人を偲んだ。
大学時代に蜷川さん演出の芝居に感動し俳優に
妹尾さんは大学入学時に演劇部に入部し、1970年ごろ東京・新宿の映画館で蜷川さんが創立した「劇団現代人劇場」の芝居をみた。「当時の芝居は、営業時間終了後の映画館で午後9時から芝居の準備をして10時に開演するため、僕ら1年生は200席しかない席を取りにいってました。250人くらいはお客さんが来てましたから」 芝居のタイトルは「想い出の日本一萬年」。「蜷川さんにとっては2作目の演出でした。これを見た時に僕は身震いするほど感動したんです。上演終了は午前1時くらいでしたから、その後先輩らとオールナイト喫茶へ行って『あのシーンはどうだった』と語り合ったりした。後にこれが、俳優の道を歩む大きな一歩につながったという。 後年、妹尾さんは俳優として「東芝日曜劇場」などのドラマに出演した際に蟹江さんと共演。蟹江さんに芝居をみたことを話すと「(劇団公演は3回しかやってないので)すげえ確率だよね。1回の公演で1000人も見てないよ。あなたはあの中の1人なんだよねぇ」と言われた。そして、石橋さんともドラマで共演した際に蜷川さんの影響を受けたことを話すと「お前も蜷川にやられたかー」と笑顔で話していたという。
念願の蜷川さんとの出会い
そして、妹尾さんは自身のラジオ番組で蜷川さんの芝居について語るなどし、関東在住の俳優仲間らが蜷川さんのインタビューなどが載った雑誌などはすべて送ってくれたため、すべて参考にした。そして、今から約20年前にラジオ番組で蜷川さんにインタビューできるチャンスが巡ってきた。 「インタビュー当日は、朝の番組を終えて一度帰宅して風呂に入ってからインタビューに臨みました」と当時を振り返る妹尾さん。インタビューがはじまると、蜷川さんに東京で芝居を見て感動したことなどいろいろと自分の思いを話し、気がついたら30分間一人でしゃべっていた。 「興奮してるから止まらなくて。けど、蜷川さんが『妹尾さんは本当に僕を見てくれてるんだね』とおっしゃって、当時の舞台の裏話を1時間ほど話してくださって。『あ~楽しかった』といいながら帰られたんです」 以来、大阪で蜷川さんの芝居をやるたびにラジオ番組で取り上げ、事前に関東で上演中の舞台を見に行くと、蜷川さんは「妹尾さん、遠いところよく来てくれたね」と毎回声をかけてきてくれたという。