<解説>小野憲史のゲーム時評 「ゲーム批評」の思い出 編集長になってみて
ただ、それで売れるか否かは別問題だ。実際、自分が編集長を引き継いだ後の3号は、部数がピクリとも動かなかった。そこで営業部と相談の結果、出版点数を増やすことを前提に、まずは返本率を下げることになり、1000部、2000部と刷り部数を減らしていった。それでも実売数は変わらず、最終的に刷り部数が2万5000部、実売が2万部で落ち着いた。返本率が3割から2割に減少したことで、少しは利益率の向上にもつなげられた。ただし、出版点数を増やすという戦略は、あまり実を結ばなかった。会社が左前になってきたことで、人材の流出が続き、それどころではなくなってきたからだ。
また、雑誌の印刷部数が減るということは、それだけ書店で見かけなくなるという意味でもある。あのとき、部数をキープしていれば、それだけ実売数が上がり、純利益が拡大したかもしれない。しかし、それは「たられば」の話だ。ひとついえるのは、自分が雑誌編集者としては、あまり良い成績を収められなかった、ということだろう。その後、独立して編集者からライターに転身したのも、記事制作に集中したかったからだ。自分の適性を知るという意味では、良い勉強になった。そもそも編集長は誰もがなれるわけではない。人生の中でわずかでも、そうした経験ができたのは、幸運だったと思う。
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おの・けんじ 1971年生まれ。山口県出身。「ゲーム批評」編集長を経て2000年からフリーランスで活躍。2011からNPO法人国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)の中核メンバー、2020年から東京国際工科専門職大学講師として人材育成に尽力している。