意識しないとわからない、「会話」が成立するしくみ…誰もが何の気なしにやっている「編集」とは?
考える力をみるみる引き出す実践レッスンとは? 自分で「知」を生み出すにはどうすれば良いのか、いいかえ要約法、箇条書き構成、らしさのショーアップなど情報の達人が明かす知の実用決定版『知の編集術』から、本記事では〈じつは日常会話には「なんちゃって」がたくみに入っていた…日常会話に潜む「編集術」〉にひきつづき、小説の中の会話にみられる編集術についてくわしくみていきます。 【写真】「他人のふんどしで相撲をとる」、外国人に伝わるようにするならどう訳す? ※本記事は2000年に上梓された松岡正剛『知の編集術 発想・思考を生み出す技法』から抜粋・編集したものです。
小説の中の会話
では、もうひとつ。次のような会話はどうだろうか。 「どうしましたか」と僕は訊いた。 「いや、ただ、君はひょっとしてキティの知り合いかな、と思って」 「キティ?」と僕は言った。「そういう名前の知り合いはいませんね。キティなんていう人、いままで一度も会ったことがないな」 「君はキティと同じシャツを着ているんだよ。それで何となく彼女とつながりがある んじゃないかと思ってね」 これは現代アメリカ文学を代表するポール・オースターの『ムーン・パレス』(柴田元幸訳)の、ごく最初のほうの一節だ。 シャツを着た男に別の男がそのシャツのことを訊いた。そのときキティという女性の名前を出した。が、相手はキティを知らないという。けれどもそのシャツの柄はキティが着ていたシャツと同じだった、そういう話である。 たったこれだけの、わずか数行の会話だが、この会話で読者には「僕とキティと彼」になんとはなしに奇妙な過去があるように見える。しかも彼女のシャツを通して二人ないしは三人の「あいだ」さえ気になってくる。うまいものだ。それもそのはずで、オースターは「あいだ」の文学の王者なのである。 ---------- 【編集稽古04】ここに、ある小説の冒頭部分が掲げられている。この短い会話からどんなことが想像できるだろうか。 「葬式はどこでやるんだろう?」と僕は訊ねてみた。 「さあ、わからないな」と彼は言った。「だいいち、あの子に家なんてあったのかな?」 (村上春樹『羊をめぐる冒険』より) ---------- 友人からの電話だ。そうとうに短い会話だが、それでもこれだけで「あの子」が死んだことがわかる。それが急な出来事だったろうことも、わかる。 それに、「あの子に家なんてあったのか」というセリフが、これからの物語のすべてを暗示する。実際にも、読者はこのあとただちにムラカミ・ワールドに連れ去られていくことになる。詳しくは“原作”を読まれたい。 このように「話す」「会話する」という流れには、かなり高次な編集がおこっている。それが可能になっているのは、会話をしあっている互いが自分たちが所属している文化と文脈をよく知っているからなのだ。また、互いの「情報の様子」を心得ているからだ。相互共振があるからだ。 ただ、われわれはどうしてそのように会話が成立してきたのか、そこにどんな手法が生きているのか、それはどのような編集方法なのか、そのことに気がついていないだけなのである。 『知の編集術』は、以上のように誰もが何の気なしにやっている「編集」という方法にいろいろな角度から光をあてる。そして、そこからわれわれが仕事をしたり考えたりするうえで参考になりそうなヒントをあれこれ引き出そうというものだ。 もっとも『知の編集術』などという、いささか実用書のようなタイトルがついているために、梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』や野口悠紀雄さんの『「超」整理法』のようなノウハウを期待される読者も多いかもしれない。 それはおおいに期待してくださって結構である。そういう面もある。ただし、編集術は整理術ではない。情報を創発するための技術なのである。 創発とは、その場面におよぶと巧まずして出てくるクリエイティビティのようなものを いう。あらかじめ準備しておく編集も大事だが、その場に臨んでますます発揮できる編集力、それが私がいちばん重視する創発的な技術というものだ。本書はそのへんの感覚の重要性について、なんとか工夫をして伝えてみたい。 また、本書はノウハウを案内することだけが狙いではなく、この一冊を通して「編集的「世界観」というものがありうることも伝えたいとおもっている。できれば読者もそのつもりで読んでいただきたい。 * 連載記事〈「他人のふんどしで相撲をとる」、外国人に伝わるようにするならどう訳す? …「編集という方法」に求められる大事なこと〉では、雑誌や書籍の編集だけではない、「編集」についてくわしくみています。
松岡 正剛