いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え
● 中国の歴史はせいぜい2500年 「昔は“中国4000年の歴史”と言ってたのに?最近は“中国5000年の歴史”になった。いつの間に1000年も延びたんですかね」 日本人からたまにそんな質問を受けることがある。 日本で「中国4000年の歴史」が広まったのは、1980年代にインスタントラーメンのコマーシャルで「中国4000年の幻の麺」というフレーズが広まったからだと言われる。実はその頃から中国では「わが国の歴史は5000年」と主張しだしたようだ。私が小学生の頃も3000年だと教わったのだが。 だから、中国人が先ほどのコマーシャルを観たら、「1000年も短くされた」と憤慨しただろう。しかし私は「日本人は優しいから、中国人の顔を立てて4000年にしてくれた」と思っている。 欧米はじめ他の国々では「中国の歴史はせいぜい2500年、長くても3000年」とみるのが一般的だからだ。
● 文明の起点はいつか もちろん、中国には5000年よりもはるか昔から人間が住んでいた。しかし、現在につながる“中国の歴史”と呼ぶわけにはいかない。人間が生活をしていればそれで歴史と認証されるのなら、5000年の歴史を誇る国は世界各地に存在することになる。 大事なのは、現在につながる文明があったかどうかだろう。にもかかわらず、そうした認識を持ち合わせていないかのように、中国は、5000年の歴史を証明することに力を注いできた。なかでも特徴的なものが、国を挙げて取り組んだ「夏商周年表プロジェクト」という研究だ。 中国語では「夏商周断代工程」と書き、21世紀を迎えるにあたってのミレニアム・プロジェクトとして、1996年から2000年にかけて進められた。「夏商周」の3文字でピンときた人もいるだろう。最初の王朝とされる夏王朝、それに続く商(殷)王朝、周王朝について具体的な年代を確定するという取り組みだ。 それまで中国の歴史は、司馬遷の『史記』にある周王朝の「共和元年」(紀元前841年)が、文献によって確認できる最も古い時代とされてきた。共和元年より古い時代は、文献によって確認できないから、夏王朝と商王朝は「神話伝説の時代」と呼ばれてきた。 司馬遷にならって、中国の歴史が紀元前841年に始まるとすれば、現在から2865年前になる。「どれだけ長くても3000年の歴史」という通説に根拠を与えるものだ。