斎藤佑樹が振り返る野球人生「ハンカチ王子であることを心の底から拒んでいた」
引退するまでの僕も、腕は上がらないし身体は思うように動かないのに、投げ続けなくちゃいけないと当たり前のように思えていました。それは僕が、きっとそうするであろうはずの"斎藤佑樹"に気持ちを投影しているからなのかな、なんて考えたこともありました。 もっとも、引退までの数年はまったく結果がついてこなかったので、本気で演じていた頃に比べれば、ずいぶん演じなくなっていたかもしれません。その分、フォーカスするのは自分のことではなく、自分がやるべきことになっていた......"斎藤佑樹"がこうあるべきだから"斎藤佑樹"ならこうする、ではなくて、"斎藤佑樹"が何をやるかが大事なんだから僕はこうする、というふうに考えられるようになったんです。それは栗山監督にもずっと言ってもらっていたことでした。 【少年野球専用の野球場をつくりたい】 最後の数年は野球に楽しく向き合えていたと思います。自分で考えて、投げて、トライアンドエラーで、こうやったら打ち取れるんじゃないか、こうすれば結果は違ってくるんじゃないかということを、データを見ながら、あるいは自分のフォームを撮影して動画で見ながら、いろいろ考えてやってきました。それが頭のなかで整理できた時には身体が言うことを聞かなくなっていて......アスリートがすべてを合致させるのは本当に難しいものですね。 引退して1カ月くらい経った時、テレビ番組の撮影で群馬にある母校の小学校へ行ったんです。それまでも車で前を通ることはあったんですが、校庭に入ったのは20年ぶりでした。運動場にマウンドがあって、そこに立ってみたら、小1から引退までの27年、野球をやってきたことがパンパンパンと浮かんできて......プレーだけじゃなく、親が送り迎えしてくれた時のこと、お弁当を食べた時のことが次々と浮かんできました。お弁当はおにぎりです。海苔を巻いて、具はおかかとか梅、あとは昆布でしたね。