石塚裕惺 巨人高卒ドラ1野手史上最も若い背番号に決定「23番と言えば石塚だと思ってもらえるように」
巨人からドラフト1位指名を受けた埼玉・花咲徳栄の石塚裕惺(ゆうせい)内野手(18)が17日、球団の看板選手を目指すことを誓った。都内のホテルで契約金8500万円、出来高2000万円、年俸1200万円(いずれも金額は推定)で仮契約。背番号は球団の高卒ドラ1野手史上最も若い「23」に決まった。「23番と言えば石塚と思ってもらえるように」と決意表明。期待の高卒ドラ1がスター街道を歩んでいく。 【動画】石塚が仮契約「球団の顔となれるように」と決意表明 石塚は希望で胸を膨らませた。仮契約を結び、背番号は「23」に決定。未来のスター候補生は堂々と将来の目標を口にした。 「着実に成績を積み重ねていって、最終的にはジャイアンツの顔となれるようにやっていきたい」 新たな23番像を築いていく。ドラフトが始まった1965年以降、球団の高卒ドラ1野手では最も若い番号が与えられ、大きな期待が表れた。巨人の「23」は昭和20年代には長距離砲・青田昇が背負い、本塁打王などのタイトルを獲得。今季は引退した立岡がつけていた。「活躍された選手の背番号を引き継ぐので自覚を持ってやらないといけない」と敬意を示した上で、「23番と言えば石塚だと思ってもらえるよう、その背番号が似合うようにしたい」と決意。自分色に染めていく。 多方面で縁起のいい数字でもある。高い身体能力を持つ石塚との共通点も少なくないヤクルト・山田が「23」から出世した。今はMLB屈指の強打者であるタティス(パドレス)も着用。他競技に目を向ければ、バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンが代名詞とし、サッカーでは元イングランド代表のデービッド・ベッカムも背負っていた。「ファンの期待に応えられる、頼りになるバッターになりたい」。多くのファンを魅了した数々のスーパースターのように、出世街道を進んでいく。 夢を抱きながら着実に階段を上がる。1年目の目標を明確に設定。「1軍の試合に一日でも早く出て、初安打を記録したい」。同じく高卒ドラ1野手だった坂本、岡本和、浅野がいずれもプロ1年目に初安打をマークしていることを把握済み。「高卒1位の先輩方に並べるようにやっていきたい」と気合十分だ。担当の大場スカウトは「ミート力、空振りをしないコンタクト率が高い選手。体も強いし、1年目から1軍の試合に出られるように期待したい」と早期の活躍に太鼓判を押す。 2000安打とシーズン3割30本を将来の目標に掲げる強打の遊撃手。約10分の会見では大志を口にする一方で、「一日一日を大切に」と4度も口にした。座右の銘は「熱願冷諦(ねつがんれいてい)」。熱心に願い求めつつ、冷静に本質を見極める。その通りの言動だった。 一歩一歩進んだ先に成功がある。「(背番号)23からスタートして、いずれは1ケタの番号を取れるように、という話をいただいたので、そういう選手になりたい」。巨人を支える看板選手を目指し、プロの舞台に挑んでいく。(宮内 孝太) ◆裕惺に聞く ―球団からかけられた言葉は。 「『坂本勇人2世になってくれることを期待している』と言われたので、近づき、追い越せるように一日一日大切にやりたい」 ―1、3、5年目とどういうビジョンで歩みたいか。 「まだプロ野球の世界が分からない。桑田(2軍)監督からもメディアを通じて今の現在地を知ることが大事と言われていますし、まずは自分の現状を知ることが大事。飛躍のきっかけをつかめるよういろんな方からの助言を大切にしたい」 ―将来はどういう選手に。 「いずれは2000本安打を打ちたい。シーズンで3割30本打てるショートになりたい」 ―プロで対戦したい投手。 「プロの投手はみんなすごいと思うので、たくさんの投手と対戦できるようにまずレギュラーを取りたい」 ―支えてくれた家族へ。 「東京ドームでプレーしてる姿を見せることが最高の恩返しになるので、早くかなえたい」 ◆巨人の背番号「23」 1948~52年につけた青田昇はその間に首位打者、打点王、2度の本塁打王に輝いた。松本匡史は1年目の77年から79年までつけた後「2」に変更して飛躍。近年では脇谷、セペダ、相川、野上、ポランコ、松田、オドーア、立岡がつけた。
報知新聞社