「死闘の末に視力を失ったとしても…」井上尚弥に初めて挑んだ日本人ボクサーが明かした「怪物との闘いへの覚悟」
<いまや世界中のボクシングファンの注目を集める井上尚弥選手。対戦相手たちの証言を元に、その強さの秘密、闘うことの意味について綴った『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(森合正範著)が4万部超えのベストセラーとなっている。 【衝撃】メイウェザーをとりまく美女たちがグラマラス過ぎて… 2023年度の「ミズノスポーツライター賞最優秀賞」も受賞した本作の中でも特に評判の高かった、「井上尚弥が初めて戦った日本人」佐野友樹との死闘を描いた章を特別公開する――。>
両目が見えなくなった…
ファーストコンタクトは、井上が上体をかがめ、左のボディージャブから入ってきた。佐野も左を突く。互いにジャブ、ワンツー、ボディーで探り合う。井上のスピードに驚嘆した。 試合はすぐに動き出す。開始一分二十秒。佐野が上体をわずかに下げた瞬間だった。ダイナミックで天高く突き上げる左アッパーが飛んできた。この試合で井上が初めて放ったアッパー。網膜裂孔の手術をした右目に直撃し、右まぶたをカットした。この一発で佐野に異変が起きた。 「試合であのアッパーが一番効いた。パンチをもらった右目だけでなく、あまりの衝撃で左目まで見えなくなったんです。『バン! 』と打たれて両目とも見えなくなったんです」 パンチを浴びた反対の目まで見えなくなる。そんなことが起こりうるのか。一発のアッパーで視神経までやられたというのだろうか。もちろん佐野には初めての経験だった。 「右目は見えないし、まぶたが切れたのも分かった。左目は喩えるなら目に指が入ったときのように曇ってしまった。視界がぼやけているような感覚です」 視力が落ちていた右目は視界を失い、左目には曇りガラスがかかっているかのようだった。 その瞬間、思ったことがあるという。 「最初の一分くらいで距離を把握され、動きも読まれているなと感じました。要するに僕がこう動くと分かっていて、あのアッパーを打ってきたんです」
たしかに効いていた
井上にはすぐに距離感をつかみ、瞬時に相手の動きを見抜く、類い稀な能力がある。佐野もまた開始一分余りで「動きを読まれている」と体感したのだった。 「井上っちゅうのは華があるな」 コーナーから見つめていた会長の松田は、井上に目を奪われた。一瞬、二十年近く前、愛弟子の薬師寺と対戦した辰吉を思い出す。あの日もコーナーから見た対戦相手にオーラを感じた。 「まあ、辰吉のオーラはもっと上だったけどな。華というのは、お客さんが自然とリングに吸い付くようになっちゃうんだな。会長やトレーナーが教えられるものじゃない。生まれ持ったもの。大きい試合をやるたびに倍増していくもんなんだよ。はっきり言えば、お客さんからしたら相手なんて誰でもいいんだ。リングに上がって闘えばそれで十分。それだけで絵になる。敵ながら辰吉や井上にはそういう雰囲気があったね」 だが、同時に思った。 「日本人相手は違うよ。佐野は井上がこれまでやってきた外国人とはハートが全然違うから。アイツには意地がある。おい佐野、目一杯やってこい!」 二回。五十秒過ぎ。井上が左のボディーアッパーを打つと見せかけて、左を瞬時に顔面へのフックに切り替えた。もの凄いスピードとともにパンチが飛び込んでくる。異次元のコンビネーションだった。佐野は頬にまともに食らい、吹き飛ばされた。ダウン。 「しまった、と思った瞬間にはもう食らっていました。パンチは全然見えていないです。本当に一瞬でガツンともらった。僕は倒れたときに休むのが嫌いなんです。だから休まず、すぐに立ったんです」 立ち上がり、試合を再開すると、右ストレート、左フックを浴び、よろめいた。自然とコーナーに下げられる。左、右と次々パンチが飛んでくる。ボディーワークを使い、必死に反応した。井上の右ストレートに対して上体をかがめて避けた瞬間、ゴツンと頭部に当たった。佐野はさほど衝撃を感じなかったが、このときアクシデントが起こっていた。井上が右拳を痛めたのだ。 佐野は左を三発突き、井上をリング中央に戻す。一呼吸置く間もなく、今度は視界の外から左フックが飛んできた。 まるで嵐の中にいるような三分間が終わった。
万が一、失明したとしても……
佐野がダウンした直後、セコンドの高嶋は身を乗り出した。二回終了のゴングが鳴り、コーナーに戻ってきた佐野を迎え入れる。 「おう、どうだ? 大丈夫か?」 「はい、大丈夫です」 はきはきした佐野の口調から深いダメージは感じられなかった。高嶋は少し笑いながら、井上のほうを見て佐野に尋ねた。 「あれ、強いか?」 「強いです」 「ボディーを狙っていこか」 佐野も同じことを考えていた。腹がちょっと弱いかもしれないと感じていた。 「さっき、佐野が打ったら『ウッ……』と少しうめいていたろ。腹に打ってみ」 独特の関西弁でそう言って送り出した。
森合 正範(記者)