満身創痍の鬼気迫る天龍源一郎「俺が動けなくなったら誰が家族を守るんだ」
2月4日から公開中の映画『LIVE FOR TODAY -天龍源一郎-』は、一昨年、約40年におよんだプロレスラー生活にピリオドを打った天龍の最後の一年を追ったドキュメンタリーだ。家族をはじめ天龍を支える周囲との絆も伝わり、プロレスファンでなくても楽しめる作品に仕上がっている。 1976年、幕内力士からプロレス入り。ジャイアント馬場、アントニオ猪木という力道山亡き後の日本マット界を担った2大スターからそれぞれピンフォール勝ちを収めた唯一の日本人。第二の人生に踏み出した今、何を思うのか。本人に聞いた。
まき代夫人の絵に描いたような内助の功
「最初はね、見たことない人がカメラ構えて、控え室とか練習してるとこも撮るって、めんどくせえなと。でもウチの”代表”に聞いたら、『ドキュメンタリー撮りたいっていうことらしいよ』って言われて。じゃあそのままの天龍源一郎を撮ってもらえばいいかと思って。俺の生き様を残してくれるんだからって気持ちになりました」 ”代表”とは、1982年に結婚し長年連れ添ってきた7つ下の妻・まき代さんとの間に、結婚翌年に生まれた一人娘の紋奈(あやな)さんのことだ。天龍の個人事務所である天龍プロジェクトの代表を務めている。文字通り、一家で天龍を支えてきたのだ。妻のまき代さんは数年前に乳がんを患ってから、心臓弁膜症、胆石症、糖尿病と急激に体調を崩した。引退を決意した大きな要因でもある。 「現役のころ、家でテレビ見ながらもそわそわしてると、『飲みに行きたいの?』って女房が気づいてね。じゃあって、なけなしのお金を出してくれて」
引退決意させた家族の大病
亭主関白で、家族には名前ではなく”大将”と呼ばせた。飲み屋のツケを、まき代さんが稼いで返したことなどもザラだとか。 「最近知ったんですけど、まだ娘がちっちゃかったころ、僕が地方巡業に出るたび、女房が娘を連れて京都の実家に帰るんですよ。『俺がいない間、実家に帰してやる天龍源一郎はいいダンナだなあ』なんて自惚れていたんですが、女房は実家でやってる飲食店に働きに行って、家計の足しにしていたんです」 ”大将”も形無しだ。天龍が天龍でいられたのは、家族がいればこそ。 「僕の体もガタがきて、女房も大病をやった。『もし俺が動けなくなったら誰が家族を守るんだ』って。だったら動けるうちにプロレスやめて、何かの足しになればいいなと思って引退することにしたんです。女房の体調? まあ、良くなったり悪くなったりですよ」 現在は芸能事務所と提携、タレントとしてテレビやイベント出演など、活動の幅を広げている。