阪神大震災19年 神戸を見守り続けるポートタワー
1月17日、阪神・淡路大震災から丸19年目を迎えます。同震災では、震源に近い神戸市や淡路島などで甚大な被害が広がり、地元の神戸港も船の発着場などが壊れ、機能がストップしました。しかし、その中でほぼ無傷で耐え続け、市民を元気づける象徴となったのが神戸港中突堤に立つ「神戸ポートタワー」(同市中央区)です。震災から28日後のバレンタインデーには「神戸を元気づけよう」と赤色のライトアップを再開したことでも知られる同タワー。約2か月前にはオープンから50年の節目を迎え、港湾関係者からは「これからも変わらぬ姿で神戸港を見続けてほしい」という思いが聞かれます。 [写真]阪神淡路大震災から19年 “遺構”が伝える震災被害
阪神大震災にも耐え
阪神・淡路大震災は1995年1月17日午前5時46分に発生しました。淡路島北部沖の明石海峡を震源とし、マグニチュードは7.3。近畿圏の多くで被害が広がり、特に神戸市中心部や淡路島などでは、ライフラインや交通網でも壊滅的な被害を受けました。阪神高速道路神戸線が倒壊した映像は被害の象徴的なシーンとして記憶されています。 神戸港も大きな被害を受け、四国、九州方面向けのフェリーも発着回避を余儀なくされたほか、中突堤やコンテナターミナルなども壊れ、神戸港復興宣言が出されたのは震災から2年後でした。その中でポートタワーは建物や照明などもほとんど被害がなく、震災後の2月14日には、隣接する神戸海洋博物館とともに夜間のライトアップを復活。その後、タワー近くにあるホテルオークラ神戸も客室照明を使って「ファイト」の文字を浮かび上がらせ、復興への光として地元の人たちを勇気づけました。 ポートタワーは1963年11月21日にオープンした展望用タワー(高さ108メートル)。ハイカラな神戸に合うデザインを意識し、和楽器の鼓をイメージした世界初の鋼管パイプを張り巡らした構造は「鉄塔の美女」とも呼ばれます。建設当時からマグニチュード8に耐えられるタワーを目指し、何度も基礎強度を確認、潮風にもさびない船舶用のペンキを使うなど対策を施し、これが阪神・淡路大震災の揺れにも耐えた背景になりました。