「朝起きると、隣で妻が亡くなっていて」絶望した60代夫が徐々に再生…生きててよかったと思える"飲み物"とは
■取り残された気持ちに 夫を肝硬変で亡くした40代の女性は、「周囲の人は自転車で走っているのに、私は道の真ん中にひとり取り残されたように感じて、どうしていいかわからなかった」と話されていました。 いつもと変わらぬ社会の時間の流れのなかで、自分だけが置いてきぼりになっているように感じられるのです。 このような状態に陥ることは、けっして特別なことではなく、大切な人と死別したあとにみられる自然な反応であり、だれもが経験する可能性があります。 もし自分がこのような状態になったときには、早く元気にならなければとあせる必要はありません。何より大切なことは、あなたが生きていることです。 今はまだ、何もできなくてもいい、とにかく生きていればいいのです。自分を責めたければ責めてもいいし、亡くなった人のことだけを考えていてもいい。自分の気持ちに身をゆだねて、時間の流れにしばられなくてもかまいません。朝になったから起きなくてはいけないと思う必要もないのです。 どうしようもない悲しみを抱えているときは、自分のペースで「ゆっくり、ゆっくり」が合言葉です。今日一日だけ生きてみよう、そう思いながら一日を過ごしてみるのもいいかもしれません。 ある60代の男性は、こう話してくれました。 「妻を亡くして、とてもつらいとき、先のことは考えず、とにかく今日一日を生きようと思って過ごしてきました。一日一日を積み重ねて、もう7年になります。悲しみは変わらないけど、生きていてよかったと思う時間も増えました この男性と出会ったのは死別後まもなくの頃です。号泣しながら、「朝起きると、隣で妻が亡くなっていてね……」と話されていました。 当時は食べることも寝ることもままならず、私たちもずいぶんと心配しました。 ■「今日を生きる」をくり返す 言い知れぬ不安や絶望感におそわれ、自分の人生が終わったように感じることもありますが、それでもなお自分の時間は続いていきます。 「今日を生きる」を3回続けると3日間が過ぎ、7回続けると1週間が過ぎていきます。それをくり返していくなかで、人生への新たな気づきや生きがいが見えてくることがあるかもしれません。 死別の悲しみは時間がたてば解決するというものではないと思いますが、時の流れのなかで気持ちのありようは変わっていったりします。苦しみながらもなんとか今日を生きることが、その先を生きることにつながってくものです。 先ほどの60代の男性に「最近、生きていてよかったと思ったのはどんなときですか?」と尋ねてみたら、「露天風呂に入りながら熱燗を飲んだときだなあ」とうれしそうに話してくれました。 深い悲しみの中にあっても、なんとか今日を生きてみる。 つらく苦しい日々を積み重ねていく過程で、これからを生きていくために、何が本当に必要なのかを見いだせるかもしれません。 ---------- POINT 今はまだ、生きる意味がわからなくていい。何もできなくても、あなたがただ生きているだけでいいのです。 ---------- ---------- 坂口 幸弘(さかぐち・ゆきひろ) 関西学院大学「悲嘆と死別の研究センター」センター長 同大学人間福祉学部人間科学科教授。専門は臨床死生学、悲嘆学。30年近くにわたり、死別後の悲嘆とグリーフケアについて研究・教育にたずさわる一方、ホスピスや葬儀社、保健所、市民団体などと連携し活動してきた。 ---------- ---------- 赤田 ちづる(あかだ・ちづる) 関西学院大学「悲嘆と死別の研究センター」客員研究員 上智大学グリーフケア研究所、関西学院大学大学院人間福祉研究科で学んだのち現職。研究のかたわら、主に関西を拠点として、グリーフケアの実践活動や支援者の養成に広く取り組む。 ----------
関西学院大学「悲嘆と死別の研究センター」センター長 坂口 幸弘、関西学院大学「悲嘆と死別の研究センター」客員研究員 赤田 ちづる