手相観の日笠雅水さんの人生を変えた、ジュリーの“黄金の人差し指”。
長く無料で手相を観ていたが、糸井さんの勧めもありプロに。
そうしてYMOが始動し、日笠さんは初代マネージャーとなった。 世界進出を果たしたYMOが大きくなっていく中で、フル稼働していた日笠さんは、いったん音楽業界を離れる決心をする。そのころ知り合いだった糸井重里さんからプロの手相観になるよう勧められるが、仕事にすることに抵抗があり、ミュージシャンのインタビューを記事にまとめるといったフリーランスのライターとして7年ほど過ごした。 「貯金がなくなりかけた34歳のころに、心配した両親からお年玉をもらい、情けない気持ちになって、『なんとかしなきゃ』と思ったんです。それまで周囲にすごい人たちがいて私の“コバンザメ運”は最高だったけど、なんだか“一匹狼”になりたかった。 何ができる? と考えたとき、需要があるのは手相なんですよ。当時かかってくる電話の9割が手相観の依頼。それまでは無料で観ていて、お金をもらうことには抵抗があったけれど、糸井さんもずっとプロになりなさいと言ってくれていたし。自分からは絶対に来てくださいとは言わず、自然と口コミだけで来る人が途絶えるまで続けようと誓い、お金をいただくことにしたんです」 が、それが途絶えることはなく今に至っている。そこからまた広がる縁もあり、実は清水ミチコさんもその一人。個人的に手相を観る機会があり、今では連絡を取り合う仲に。日笠さんが保護猫を引き取る際に、保証人になってもらったり。 そんなふうに次々とさまざまな縁を繋いで今があるのも、その出発点には沢田研二さんがいた、と日笠さんは語る。沢田さんのいる“あちら側”へという思いを揺らがず持ち続けることで自然と道が拓けてきた、それだけは間違いないのだ、と。