収束見えない香港デモ 「一国二制度」の行方は?
香港の民主主義が破壊される懸念
一連のデモが自然発生的に拡大し続け、最大で200万人近くの参加者を集めた背景には、イギリスから持ち込まれ、長年にわたって香港に根付いている「民主主義」が中国政府によって破壊されてしまうのではないかという懸念が存在する。筆者は7月に数名の香港人に取材で話を聞いたが、身柄引き渡しをめぐる条例改正に対する不安はあくまできっかけであり、デモが終わる気配を全く見せない一番の理由は、香港における民主主義の存在そのものだと、口をそろえて語った。
象徴的な話を香港人の1人がしてくれた。特別行政区として香港で正式に使われている区旗は、地元の住民の間では評判がよくなく、1997年の返還まで使われていたユニオンジャック(イギリス国旗)を懐かしむ人が少なくないのだという。現在の区旗は、赤地の旗に白でオーキッド・ツリー(香港の象徴であるバウヒニアの花)が描かれ、5つの花びらの中には中国の五星紅旗と同様に5つの星が1つずつ入れられている。赤と白の2色は一国二制度を意味するとされているが、評判は散々である。
かつてユニオンジャックが入った旗が使われていた香港だが、その歴史は19世紀にまでさかのぼる。香港島はアヘン戦争(1840~1842年)後にイギリス領となり、その後イギリス政府は1898年に当時の清朝政府と新界(現在の香港の大部分を占める地域)を99年間租借することで合意。中国で共産党政府が樹立されてからも、香港はイギリス領のままであったが、1980年代に入ってイギリスと中国の2国間で香港の返還に関する話し合いがスタート。1984年、返還から50年は「一国二制度」を維持するという条件の下、返還の合意がなされた。そして1997年7月1日、香港はイギリスから中国に返還された。一国二制度とは文字通り、1つの国の中に異なる政治制度や経済システムが存在するもので、中国と香港の関係がそれにあたる。
人民解放軍の介入は現実的ではないが……
大阪で行われたG20(20か国・地域)サミットは6月28日に初日を迎えたが、同じ日の朝、東京の日本外国特派員協会では、香港民族党を創設した陳浩天氏も登壇した記者会見が行われていた。大学院生の陳氏は、香港が中国から独立して主権国家となることを目指し、2016年3月に香港民族党を設立。中国からの独立を掲げる政党が香港で誕生したのは初のことであり、動向に注目が集まったが、2018年7月に香港政府は香港民族党の活動を非合法なものと判断し、政治活動の停止を命令した。香港民族党が香港外国記者会で行う予定だった講演会も、結局実施はされたが、当初中国政府と香港の行政長官から横槍が入っていた。6月の東京での会見で、陳氏は「これまで、香港にはさまざまな思想を持つ政党が存在しましたが、長い歴史の中で政党が非合法化されたのは我々のケースが初となります」と懸念を露にしている。 東京での会見後も香港ではデモが相次いでいるが、7月中旬に筆者のもとに陳氏から連絡が入った。「抗議行動はだんだんと予測不可能かつコントロールが困難なものになっています。デモ参加者のほとんどは平和的なやり方でデモを続けたいのですが……。香港政府が市民の要求に応じない限り、抗議活動はさらにエスカレートするでしょう」