<高校野球>「コロナに負けず夏を制して」センバツ出場予定だった広島新庄・迫田監督 選手に別れ
高校野球の聖地・甲子園で存在感を放ったベテラン監督が静かにユニホームを脱いだ。広島新庄前監督の迫田守昭さん(74)。最年長監督として出場予定だった今春の選抜高校野球大会が新型コロナウイルスの影響で中止になり、花道を飾れないまま3月限りで退任した。ウイルス対策で自粛していた練習が再開された4日、広島県北広島町の同校を訪れ、選手に別れを告げた。【石川裕士】 【写真特集】センバツ中止決定に涙を見せる球児たち スーツ姿で現れた迫田さんは「新監督とともにコロナに負けず夏の大会を必ず制してほしい」と激励。「目指せ夏の甲子園」と揮毫(きごう)された書を贈った。「甲子園の土を踏めなかったが心に何か残してやりたい」との思いから、センバツの開会式で掲げるはずだったプラカードの校名を書いた愛媛・伊予高の書道部員に依頼したという。下志音主将(3年)は「寂しい。監督とまだ野球がしたかった。夏に甲子園に行くことで恩返ししたい」と語った。 広島市出身の迫田さんは広島商、慶大、三菱重工広島で捕手としてプレーし、監督として1979年の都市対抗野球大会で初出場優勝。2000~06年には母校・広島商を率いて2度、07年秋に広島新庄の監督に就いてからも3度、甲子園の土を踏んだ。 「広商」仕込みの「スモールベースボール」を貫いた。清宮幸太郎(日本ハム)擁する早稲田実(西東京)と対戦した15年夏の甲子園2回戦は6―7で競り負けはしたが重盗で揺さぶり、鮮烈な印象を残した。 広島商の主将、監督として、それぞれ全国制覇した兄穆成(よしあき)さん(80)との「兄弟監督」でも知られ、何度も好勝負を演じた。16年夏の広島大会決勝は兄が率いる如水館と対戦。徹底的に球を見る「待球作戦」できた兄の心中を見抜き、マウンドの左腕・堀瑞輝(日本ハム)にストライク先行の投球を指示した采配が勝った。「野球の大先輩」と尊敬する兄を降しての甲子園切符は喜びもひとしおだった。 年齢から引き際を決め、今後は「リラックスして野球を見たい」という。広島商監督時代の教え子で、後を託された宇多村聡新監督(33)は「迫田監督の指導を引き継ぎながら、選手とともに成長していきたい」と決意を語った。