「オレは何をしていたんだ…」大谷翔平が認めた天才は、なぜ大谷に負けたのか? 本人が告白する“決定的な差”「中学時代に運命が変わった」
4年ぶりに大谷と対戦「えっ? どうすればいいんだ」
大坂がプレーヤーとしての輝きを失っていく一方で、大谷は花巻東に入学してからというもの逆にその輝きはどんどん増していった。青森山田と花巻東は隣県ということもあり頻繁に練習試合をする関係性だった。大谷は会うごとに大坂が「デカいなぁ」と見上げるようになっていった。 1年生の頃の大谷は練習試合をしても投げることはほとんどなかった。大坂が決定的な差を見せつけられたのは高校2年の5月、大谷がマウンドに上がったときだったという。大谷の身長はその頃、すでに190cmぐらいになっていた。 「スライダーが消えたんです。球も速くて。身長のぶん角度もあるので、ワンバンしそうなボールがそこから伸びてきてストライクになる。その低めを打ちに行くと、そこから急に変化してワンバンしたりするんです。えっ? みたいな。だから、消えるっていう感覚になっちゃうんだと思います。うちの野球部は厳しいので簡単に三振すると怒られるんです。けど、どうすればいいんだよっていう感じになりましたね」
襲った後悔「中学時代、何をしていたんだろう」
中学1年の夏、大谷を見ても正直なところ差は感じなかった。しかし、4年振りに体感した大谷は差を感じるどころか異次元にいた。大坂を襲ったのは激しい後悔だった。 「中学時代、何をしていたんだろう……って。中学時代、何も成長できなかったんです。遊びっていうか、楽しくやっていたんで。なので、高校に入ってからは練習についていくのがやっとという状態でした」 遊びという言い方は正確ではないかもしれない。大坂はこう言葉を付け足した。 「ちゃんと野球はやっていました。ちゃんとはやっていたんです」 ただし、自分を極限まで追い込むような、勝利を激しく渇望するような、そして、新たな自分と出会えるような野球ではなかった。 軟式野球と硬式野球のレベルや意識の差は地域にもよるのだが、本間が「(大坂は)軟式行っちゃったんで、ハテナでしかなかった」と言うくらいなので、当時の青森では腕に覚えのある選手たちはたとえ練習に通うのが大変であっても硬式に進むものだったようだ。 しかし大坂はさして深い理由もなく小さな世界にとどまることを選択した。 大坂の高校時代は一転して、挫折の連続だった。 〈つづく〉
(「野ボール横丁」中村計 = 文)
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