10・10空襲から80年 語れなかった空襲の記憶
沖縄テレビ
太平洋戦争末期、アメリカ軍の攻撃で那覇の街が焦土と化した「10・10空襲」から今年で80年となります。 企画展が開かれている那覇市歴史博物館で5日、14歳で空襲の中を逃げ惑った女性が体験を語りました。 那覇市若狭に建立されている「なぐやけの碑」、10・10空襲やその後の沖縄戦で犠牲となった那覇市出身者などおよそ3万人の名簿が収められています。 追悼式にはおよそ170人が参列し犠牲者を悼みました。 ▽那覇市連合遺族会 仲嶺盛雄さん: 「再び戦争による惨禍が繰り返されることのないようご遺族、全市民を挙げて平和の尊さを共有して参りたいと思います」 この日、那覇市歴史博物館では体験者による講話が行わました。体験を語ったのは片岡千代さん、当時14歳でした。 ▽片岡千代さん: 「小禄方面に爆弾が落ちて、火の手が上がったんだけど、それから1時間くらいは飛行機が飛んでなかったから、その間に子どもたち(兄弟)と一緒に4人でお祖母さんのお家に(逃げた)」 たどり着いた壕は避難者で一杯だったため片岡さんは家族と別れ祖母の家に行き、再び家族のもとへと向かいました。そのとき、家族がいるはずの崇元寺方面に爆弾が落ちるのを目撃しました。 ▽片岡千代さん: 「那覇は火の海だからみんな真っ赤に空もなっていた」 焼け野原となった市街地を前に片岡さんは行くあてもなく呆然とさまよい歩きました。そして夕方、自分を探していた両親と再会することができました。 ▽片岡千代さん: 「母と父が名前を呼ぶものだから親子3人会えたんですよ、その時の感情は何とも言えなかったですね・・・」 ▽講話を聞いた人は: 「実際に(10・10空襲を)体験された方のお話を聞けて、今の社会情勢に繋がるようなことも身に染みて感じられたので、話を聞けてとても良かった」 片岡さんのひ孫 片岡桜子さん: 「自分だったら、その場にいたら一人で泣いてた。おばあちゃんが生きていて凄いなと思った」 自身の体験を詳しく語ったのは今回が初めてという片岡さん、悲惨な体験を繰り返してはならないと力を込めました。 ▽片岡千代さん: 「自分たちが(経験)したことをまたとさせたくないから戦争というのがなくなって仲良く話し合いをしてできないかなと思うよ」 那覇市歴史博物館では10・10空襲の実相を伝える企画展が開かれていて空襲を受けた市街地の写真資料や焼け跡から見つかった生活用品、体験者の証言などが展示されています。 企画展は今月28日まで開かれています。
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