風間杜夫「『スチュワーデス物語』で一躍人気者に。つかこうへいさんに〈お前の卑屈なところ、狂気じみたところ全部芝居に出せ〉とに言われ」
でも、岸田今日子さんがつか芝居の『今日子』に出た時、網タイツをはかされたり、相手役の靴を舐めに行かされたり、観るほうがつらい思いだった。 ――ああ、そうか。岸田さんと同じ文学座出身の加藤治子さんも、つかさんの演出を受けてみたいと思われたんでしょう。俳優座劇場でのつかさんの『出発』に出ることになって。 この芝居は菊池寛の『父帰る』がベースになってて、でも父親は家出してないで地下に潜ってる。それを長男役の僕が引きずり出して、「これが日本のお父さんだよ、買わないか」って叩き売りするような、つか流ブラック芝居ですね。 この父親役が田中邦衛さんで、母親役が加藤治子さん。そしたら加藤さん、「あなたどこでそんな芝居覚えてきたの? ダメだよそんなもの」とか、「ズボラな母親なんだから、ほら、ボリボリ股を掻いて!」とか言われて、プライドが許さなかったんでしょう。病気を理由に降板されて、梅沢昌代さんに代わりました。 でも田中邦衛さんは一生懸命の人だから、食らいついてたね。そういうことも面白がってやるくらいでないと。ナーバスに捉えてたらついていけません。僕も、「この野郎!」って、つかさんをバットで殴りに行く夢を見たりしましたね。 でもあの人、飴と鞭の使い分けが上手で、「風間よう、お前がいないと俺、芝居ができないんだ」なんて言う。大の人たらしなんですよ。(笑)
◆出ていないのは歌舞伎と宝塚だけ!? 風間さんが大ブレークするのは82年。やはりつかこうへい原作の映画『蒲田行進曲』による。その翌年のテレビドラマ『スチュワーデス物語』で、その人気はいよいよ拡大していって。 ――『蒲田行進曲』は、『熱海殺人事件』もそうですが、つかさんの代表作で、まず舞台でいろんな人が演じました。『蒲田~』の映画化では当初、売れっ子スターの銀ちゃんが松田優作で大部屋俳優のヤスが宇崎竜童という配役だった。 でも優作さんが断って、次に山城新伍&川谷拓三でいくとかいろいろ難航して、結局つかさんが僕と平田満を推してくれて決まったんです。これがヒットしてテレビドラマの『スチュワーデス物語』につながるんですが、人気者になりましたからね(笑)。 誘われるままに写真集出したり、レコード出したり、全国縦断コンサートツアーとか、売れっ子みたいな経験をしました。これもつかさんとの出会いがあったからなんですね。
【関連記事】
- 風間杜夫「引っ込み思案を直すため児童劇団へ。米倉斉加年さんの〈将来役者になるつもりなら、劇団はやめて学校で勉強しなさい〉の言葉に、中学で退団し」
- 風間杜夫「『蒲田行進曲』からアイドル時代を経て、今年で75歳。宮沢りえちゃんから〈ざまあみろ〉と書かれたメモを貰ったことも」
- 風間杜夫「孫4人を愛でることがプライベートでの楽しみ。コロナ禍で夫婦でウォーキングを始めて、会話が増えた」
- 能楽師・観世清和「学習院初等科で天皇陛下と同級生。御所の庭で野球をしたことも。〈パイロットになりたい〉の作文は、能の師匠である父への密かな抵抗」
- 篠田三郎「『ウルトラマンタロウ』光太郎役へ起用されたその理由。市川雷蔵や勝新太郎と共演できたことは、大映時代の大きな財産」