部下にも夫にも嫌われ、ペアローン解消で負債地獄…人生が好転した意外なキッカケとは
30代で課長補佐に昇進した、とある女性。上昇志向が強く、責任感もあり、部下たちを厳しく指導をした結果、部下たちから嫌われてしまう羽目になりました。その上、夫婦仲も微妙になり、「欲しかったもの」はどんどん自分の「負担」になっていく悪循環に陥りました。それが、ある出来事をきっかけに変化が起こるようになりました。(生活経済ジャーナリスト 柏木理佳) ● 部下たちに嫌われた女性上司、関係改善のきっかけは? 仕事がテキパキできて、はっきりとものを言う性格の張本あおいさん(55歳・仮名)は、37歳の時に、課長補佐になりました。 同期で一番早い昇進でしたが、当時は、自分のマネジメント能力のなさに途方にくれていました。仕事のノルマをこなすだけで大変なのに、自分の部署の新入社員も辞めてしまい、自分の教育・指導方法が悪いのだと、追い詰められていたのです。 また、張本さんは、イベントなどの企画を立案し広告営業も担当していたので、広告主に対する部下の対応について厳しく指導していました。「厳しく指導した日は、部下のフォローをしなければならない」と研修で習ったため、その日はランチや夜に食事会に誘い、「本当は優秀で、できる人だから頑張りましょう」などと叱咤激励していました。ただ、部下たちとの関係性は深まることなく、全く聞く耳をもってくれない状態で、張本さん自身も疲労困憊していました。 ところが、あることをきっかけに部下が素直になり、信頼してサポートしてくれるようになったのです。 一体、どんな方法をとったのでしょう。
● 弱い面を一切見せていなかったのに、とある大失敗で激変 そもそも張本さん自身が昇進できたのは、企画力があったというよりも、即決力とコネという武器があったためでした。親の紹介でスポンサーを取れただけというのが、本当のところでしたが、同僚男性の数人を抜き、抜群の営業成績だったのです。 しかし、昇進したことで、ノルマはどんどん増えると同時に、マネジメント能力も問われ、社内では部下による上司の評価制度も取り入れられるようになりました。公私ともに息をつく場所がありません。土日はイベントの責任者として現場に行かなければなりませんし、スポンサーの営業回りと、部下との食事会で、夜も遅くなるばかりです。ストレスを抱え、夫には暴言を吐くばかりでした。 でも、「人生の勝ち組」にカテゴライズされたい張本さんは、自分の夢をあきらめません。マンションを購入し、住宅ローンと管理費を含め、夫婦2人で月15万円を支払っていました。また、子どもが欲しかったので、不妊治療に取り組み、3年で200万円を支出していました。そのうち、経済面でも、心身面でも余裕がなくなり、2人の関係は悪化していました。 その一方、部下の前では虚栄を張っていました。厳しく細かいミスを指摘し、基本的なマナーの何から何まで指導し、ギスギスしていきました。 そんな時、夫から介護のため、実家の近くに引っ越したいと切り出されました。でも、張本さんは話を聞く余裕はなく、「こんなに頑張ってるのに、なんで職場から遠くなることをしなければならないの。不妊治療中なのに反対!」と、強烈にまくしたてたのです。 ついに、愛想を尽かした夫は、離婚届を机に置いて出て行き、電話番号も変更してしまいました。焦った張本さんが実家や職場まで連絡したり、泣きながら謝っても許してくれません。5年過ぎても、いつか戻ってきてくれると願っていました。しかし、結局、夫からの離婚請求が認められてしまいました。 そんな中、食事会で飲み過ぎた張本さんは、部下の前で大泣きしてしまいました。夫に離婚されたこと、不妊治療も失敗したこと、仕事でも上司3人からの理不尽な命令に耐えられない、などと愚痴ってしまいました。 精神的にまいっていることもあり、スポンサーにも逃げられて、営業成績は下がりました。広告イベントなども減り、残業は禁止され、実質的に賃金が下がりました。そのうち、同僚の男性3人も課長補佐に昇進し、追い付かれてしまいます。 もう、張本さんは公私ともにボロボロの状況でした。そして、お酒を飲んだ際、切羽詰まった感情を抑えきれなくなったのです。 ただ、ここで意外な展開が起きます。部下たちに思わぬ形で弱音を吐いてしまった後、徐々に部下からのサポートが厚くなり、急な対応や依頼でも快く引き受けてくれるようになったのです。 張本さんの状況や背景を初めて知り、理解できた部下たちは、多少厳しく張本さんに叱られても、これまでのような関係ではなく、自分たちがサポートした方がいいなと思うようになったようです。今では、引っ越し時にも女性部下、数人が手伝いに来てくれるほどの仲になっています。 張本さんも、部下に対して「しっかり指導して、ちゃんと面倒を見なければいけない」という概念にとらわれることをやめて、ありのままの弱い自分を見せることにしました。それが、部下たちを「上司をフォローしよう」という気持ちにさせたのです。