『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』の“強いテーマ”を解説 鎮魂歌としての役割も
『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』が真に描こうとするもの
この物語はそれだけで終わらない。コ・ミンシが演じる疑惑の人物が、宿泊客として翌年また堂々とペンションに現れたのだ。彼女の再登場によってヨンハは動揺し、またしても強い罪悪感に苛まれることとなる。果たして、彼女の狙いは何なのか。そして自分の娘など、身内の危険を察知したヨンハはついに、この女性との全面的な対決を余儀なくされるのである。このあたりの展開は、「居座りサスペンス」とでもいえるだろう。 蠱惑的だったり挑戦的な態度をとる、エキセントリックな女性を演じるコ・ミンシの演技は、エピソードを追うごとに激しさを増し、何かの陰謀を企てているのか、ヨンハとの対決そのものに没頭しているだけなのか、観ているこちらがだんだん分からなくなるほどに混迷を深める。当初の問題や作品のトーンから逸脱、飛躍していく、このあたりの展開や演出は、韓国映画、ドラマの特徴的な手つきであり、視聴者にとっての娯楽的な意味での見どころでもあるだろう。ドラマシリーズに限ると、ウェブトゥーン原作のドラマ『マスクガール』などにも共通する部分だ。 とはいえ、『マスクガール』が当初のテーマへと帰結するように、本作が真に描こうとするのは、あくまで「カエル」の物語であり、犯罪の巻き添えとなった被害者たちの物語であることは変わらない。この逸脱しても最終的に回帰できる“強いテーマ”があるからこそ、この種のドラマはストーリー部分で冒険できるのだといって良いだろう。 「誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる」……本当にそうなのか? 誰もいない森の奥でも、やはり木が倒れるときには、音を立てているのではないのか。本シリーズが最も強く表現するのは、ある事象の目立つ表面にのみ注目するのでなく、知られざる場所で知られざる人々が、人知れず泣いているかもしれないことに思いを馳せる必要があるということであり、見えにくい場所にも想像力を働かせなければならないということではないのか。そしてそれはあらゆる局面において、一個人が社会に向き合う場合の責任の話につながってくる。 本シリーズはまた、「投げられた石に当たったカエル」たちの心を癒そうとする作品であるとともに、一種の鎮魂歌の役割を果たしている部分がある。ラストシーンで、1話にも登場した、あるアイテムが再登場するのは、そんな本シリーズのテーマを最も端的に象徴していると考えられるのである。
小野寺系(k.onodera)