『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』の“強いテーマ”を解説 鎮魂歌としての役割も
「誰もいない森の奥で、木が倒れる。音はするだろうか?」……18世紀、アイルランドの哲学者ジョージ・バークリーが発した、有名な問いである。バークリーは、世界は観念であり、誰かが認知するとこによって物質が存在するという考え方を、宗教をベースにした理論によって主張したのだ。科学的な考え方だとはいえないかもしれないが、この問いは、現代を生きるわれわれにも新鮮な刺激と不思議な感覚をもたらしてくれるところがある。 【写真】『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』場面カット(多数あり) そんな問いの文言をタイトルにした、韓国のドラマシリーズ『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』が、Netflixでリリースされ、そのエスカレートしながらジャンルが移り変わっていく展開が話題を集めている。ここでは、そんな本シリーズ『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』が描こうとしたものが何だったのかを解説していきたい。 「誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる」という言葉は、本シリーズにおいてさまざまな意味を持つ。各エピソードでは、このフレーズが冒頭で登場人物らによって語られるが、その登場人物ごとの事情の違いによって、その度にニュアンスが変わって響いているところが興味深い。 キム・ユンソク(映画『チェイサー』)の演じる、“脱サラ”をして自然豊かな避暑地で宿泊業を営んでいるチョン・ヨンハのペンションに、コ・ミンシが演じる、子ども連れの謎めいた雰囲気を持つ女性が泊まりにきたことから、この物語は動き出す。 宿泊客は料金を封筒に入れて置いて出ていったのだが、部屋の清掃をしたヨンハは、そこで信じ難いものを目にする。部屋にあった70年代の古いレコード盤に、血液がべったりと付着していたのである。姿を消した宿泊客は、誰かを殺害したのだろうか。それはもしかして、一緒にいた男の子だったのではなかったか。しかしヨンハは、そのような疑惑をあえて深追いすることはせずに、部屋をきれいに掃除し、自分だけの胸にしまったままで何事もなかったように振る舞うのだった。「誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる」……つまり、事件が外に知られることがなければ、もともと存在しないも同然だということだ。 彼がそうしたのにも無理からぬところがある。ユン・ゲサン演じる人物が経営するモーテルが、過去に“ある事件”に巻き込まれたことによって、惨憺たる状況へと追い込まれるという、痛ましい前例があったのだ。報道陣は事件を無責任な態度でセンセーショナルに伝え、野次馬たちは面白がって噂をする。しかし、事件の現場になったモーテルが、評判の悪化による被害を受けていたことに、誰も気づくことはなかったのだ。まさに、「誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる」状況だ。 本シリーズでは、このようにただ巻き込まれただけで窮地に追い込まれる被害者のことを「カエル(The Frog)」と呼び、英語のタイトルとしても設定している。これは、「不注意に投げられた石がカエルを殺す」といった、韓国に伝わる言葉を基にしているようだ。こうした「カエル」たちのドラマが中心に描かれるというのが、本シリーズの特徴なのである。