<目標はパリ五輪金メダル>フェンシング・鈴村健太選手 武器は世界が警戒する“ロングアタック”
岐阜県大垣市にある大垣南高校。ここにパリ五輪で金メダルを期待されている選手の姿がありました。岐阜市出身、フェンシング男子フルーレ日本代表の鈴村健太選手(大垣ケーブルテレビ所属)です。
「いつか父を越えたい…」憧れでありライバルでもある父親の存在
去年のフェンシング世界選手権。男子フルーレ団体で日本が史上初の金メダルを獲得しました。鈴村選手は、この快挙を成し遂げたメンバーの1人。 フェンシングには「フルーレ」「エペ」「サーブル」の3種目があり、攻撃できる範囲が一番少ないのが「フルーレ」。2012年のロンドンオリンピックで太田雄貴さん率いる男子団体が銀メダルを獲得し話題になりましたが、現在、日本は世界ランキング1位。オリンピックで初の金メダルの期待が高まっています。 現在、鈴村選手は練習拠点を東京に置いていますが、毎年、母校の大垣南高校にも足を運んでいます。その理由は、鈴村選手の父・元宏さん。大垣南高校の教員でフェンシング部の顧問をしています。しかも、鈴村選手と同じく、世界選手権に出場経験があるスゴい選手なのです! 元宏さんは、息子が世界一になったことを、どう思っているのでしょうか。 鈴村選手の父・元宏さん: 「私も微力ながら昔(世界選手権に)出た覚えはありますので、大会のすごさっていうのも知っていますから、優勝なんてあり得るのかという感じだった。実際メダルを見せてもらって『すげぇ事やってくれたな』と思っています」
小学2年生からフェンシングを始めた鈴村選手。きっかけは、遠征などで家を空けることが多い父親に遊んでほしかったからだといいます。忙しい元宏さんに変わって指導してくれたのは、こちらも経験者の母・さおりさんでした。それでもやっぱり父親はずっと憧れの存在。いつか父親にフェンシングを教えてもらって強くなりたいという思いがありました。 そこで、自らの意思で元宏さんがいる大垣南高校へ。ようやく念願の父親と息子のフェンシングが始まりました。コロナ禍で活動ができないときも、2人で練習を続けていたそうです。 「父の指導がなかったら強くなっていない」と断言する鈴村選手にとって、元宏さんはどんな存在なのでしょうか。 鈴村健太選手: 「いつか越えたいというのはフェンシングを始めたときからずっと思っていた。親父なんですけどライバル」