中村七之助「あのときにも、もっともっと感謝して勤めるべきだった」父・勘三郎さんの十三回忌追善公演で感慨 『中村屋ファミリー』インタビュー
「周りを見る力というのは、父がいなくなってから備わってきている」
――そして、10月には、十八世中村勘三郎十三回忌追善三島村歌舞伎「俊寛」公演がありました。 予備日になると、勘太郎が出演できないという極限の状態で。しかも、ほぼぶっつけ本番でしたから。でも、スタッフのみなさま、舞台だったり客席だったり、あとは、あれは感動したな、あの船。見たらね、ロープ張ってあってさ、手動でしょう。 照明も、大変だったじゃないですか。昼に着いて、ちょっとしか場当たりできなくて、夜本番。だから、夜にどう見えるか、まったくできてなかったんですよね。もう自然との闘いで、どうなるかわからないっていう状況下でやったのは初めてなんでね。ドキドキよりも「もうやるっきゃない」という、そんな感じでした。 前回(2011年の公演)は、父が体調が悪くて、父の体の心配が一番だったんです。硫黄島でやるという感動は、もちろんあったんですけども、あまり覚えてないんです。横にいる父が大変そうで、大丈夫かなっていう。そういうことで、正直なところ、あんまり記憶がないんですよ。 だから、あの船もどうやって動いてるかとか、あんまり意識してなかったんですね。で、今回改めて見たら…本当にありがたいなと。父もよく「ありがたい、ありがたい」って言ってたじゃないですか。 父、うちの兄もそうですけど、そういう立場になると、ありがたみというのが、よりわかるんでしょうね。前回は、父の心配だったり、父のそばで一生懸命やるというのが主だったけれども、周りを見る力というのは、やはり父がいなくなってから備わってきているというか。 あのときにも、もっともっと感謝をして勤めるべきだったと、そういうのは見えてきますよね。いや、本当、涙出ましたもん。 本当は、父がやりたかったことだったと思いますけれども、その思いをうちの兄が引き継いで、勘太郎を連れていってやれたというのは素敵な思い出になりますし、父も喜んでいると思いますし、私もうれしかったです。 ――今年は、勘三郎さんの十三回忌となる一年でした。改めて、この12年の中村屋を振り返ると? 父が57歳で亡くなって、僕も今年41になりまして。 僕の周りにも、父が亡くなった年齢と同い年くらいの友人がいるんですよ。みなさん、どうかわからないけど、57歳ってすごく落ち着いてる、もう、すごく年上というイメージ(があった)。 それが今、お父さんが亡くなった年齢と同い年だよっていう人を見ると、めちゃめちゃ若いんです。だから「この年で亡くなったのか」って。 自分も、父が他界した年に近づいてきて、知り合いもその年齢になってみると「こりゃ、早えわ」って、つくづく思います。 父と同い年の人たちは、もう70歳なんですね。70の父なんて想像できてないし。でも、その70の人たちも、あまり変わってないんですよ…というので、何かちょっと混乱してる。 「ああ、57歳は若い」って、みなさま言うけど、その当時はそんなふうには思わなくて。今、年齢を重ねると、改めて「えっ?」って思うんです。 この12年、中村屋は、父だけでなく大切な人を亡くしながらも、みんな一生懸命努力して、(中村)鶴松をはじめ、いろんなお弟子さんだったり、勘太郎、長三郎が大きくなって、いろんな役をやらせていただけるようになってきました。 未来は明るいと思いますし、中村屋はずっと同じ方向を見ていけてるんじゃないかなと、僕なりに思っています。 兄が言ってましたけど、中村屋は本当に仲が良い。スタッフすべて、中村屋一丸となって進んできていると思うので、この調子で、どんどんどんどんと突き進んでいければなと思っております。 聞き手:花枝祐樹(番組ディレクター)
めざましmedia編集部