中村七之助「あのときにも、もっともっと感謝して勤めるべきだった」父・勘三郎さんの十三回忌追善公演で感慨 『中村屋ファミリー』インタビュー
鶴松のお光を見て「悪くないんだけれど…」感じた戸惑い
――(中村)鶴松さんは、「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん) 野崎村」で、お光を演じました。 最初、稽古に来たときね。悪くないんだけど、良くなかったんですよ。うん、悪くないの。そのとおりやってるんですよ。でも、ここがなんというか、もうプレッシャー。彼に聞いてみないとわからないけれども、「ああ、ビデオを見まくったんだな。自分で稽古をしまくったんだな」と。 彼は踊れるので、全然間違ったことをしてないんですけれども、胸に響かないというか。何か、なぞってしまってるというか。どうしてそれをやっているかという、根本ですよね。真面目がゆえに陥りやすい罠なんです。 セリフも悪くはないんですけれども、根本から抜け出せなかったんです。それで、どうしようかと思っちゃって。このままいっても、目も当てられないお光にはならないと思ってましたけれども、やっぱり父だったり、うちの兄のお光だったり、(中村)福助の叔父だったり、(七世)中村芝翫の祖父だったり、いろんな方のお光を見てるわけですから、すごく戸惑いました。 けれども、ある日あるとき「それだよ!」っていう。あれ、舞台稽古の前かな。吹っ切れたのか、「それ!」っていうのになって初日を迎えたんです。 うーん、そういうことって、ありますよ。寝て起きたら、できるようになってるっていう(笑)。でもそれは、積み重ねて考えてるからこその証しですよね。 考えて考えて、夢にもたぶん出てきてたでしょう。その中で、いろんなものがパンと抜けて、役に昇華できるようになったんじゃないかなと思うんですけどね。 相当の重圧だったと思いますよ。でも、それを乗り越えて、僕が聞いた中では「とっても良いお光だ」って、みなさま言ってくださるから。出来が良かったのでね、父も本当に喜んでいると思います。また、これから何回もやるんじゃないですか。 本当に苦しい思いはしたんでしょうけれども、ああやって、またひとつ役者になっていくんだろうなと思います。