韓国佐渡金山遺族「日本、36年間苦痛与えておきながら…今回は本当に間違っていた」(2)
--韓国が主催した追悼式はどうだったか。 「〔朴喆熙(パク・チョルヒ)駐日〕大使が書いてきたもの(=追悼の辞)を読んで各自祈りを捧げたりチョル(相手を敬う韓国式のあいさつ)をしたりして酒を供えた。私は山に響くように祈りを捧げた。最初の追悼式なので、私たちが全員満足できるだろうか。しかし来年は(韓日間に)より良い合意に沿って(追悼式が)行われるべきではないだろうか」 この日開かれた「佐渡金山強制動員韓国人犠牲者追悼式」の公式式次は10分で終わった。追悼式以降、遺族は観光地に変わった鉱山坑道を視察した。坑道は約400キロメートルで、日本はこのうち2カ所を一般公開している。 キムさんの父親は1912年生まれの故キム・ジョンウォンさんだ。たくさんの給料がもらえるという話を聞いて1940年忠清南道論山(チュンチョンナムド・ノンサン)から佐渡金山に徴用された。 --父親が働いた坑道を直接見てどうだったか。 「父のことをあれこれ考えた。人が入れないように閉鎖された坑道も多く、まるで蜂の巣のように離れている所もあった。正直言うと、私の個人的な考えでは『ユネスコに登録されたとはいうが、果たして見に来る人々がいるのだろうか』とも思った。ここで父が仕事をして肺が壊れたせいで子どもである私も下のきょうだいたちを世話するのにしたい勉強も十分にできなくて犠牲になった。いろいろな考えがよぎった」 一方、遺族は前日には朝鮮人労働者関連の展示空間がある佐渡金山に近い相川郷土博物館も訪れた。7月佐渡金山の世界文化遺産登録直前、日本は「佐渡金山の『全体の歴史』を佐渡金山の『現場に』反映するように」という国際記念物遺跡協議会(ICOMOS)の勧告と世界遺産委員会の決定により該当の展示館を開いたが、そもそも強制労役を認める展示物は一つも含まれておらず問題になった。 --博物館はどうだったか。 「展示されたものもそれほどなく、あまりにも小さくて博物館と呼ぶのも無理があった。父の名前が残っていないか、隅々まで探してみたがなかった。誠意もなく、ただ作っておいたんだと思った」 --今回の追悼式の一連の事態で、韓国政府の対応はどうだったと思うか。 「正直に、政府は最善を尽くしてくれたと思う。日程の間、遺族たちを誠意を尽くして対応してくれた。韓日合意に至らなかったことは残念だが、政府がこうして連れていってくれないで、遺族たちが自分たちで行こうと思ったら数百万ウォンかかっていただろう。行きたくても行けなかった所を行くことができた点には感謝している」 一方、日本政府は今回の追悼式のために韓国の遺族たちを招きながらも関連費用を全く負担しなかった。韓国政府が費用全額を負担したことに対しても慣例に合わないという指摘が出た。