青木宣親さん“1番抑えられた投手”上原浩治さんの思い出と…200安打達成の秘話 静寂のグラウンドに響いた「大丈夫です!!」
実は上原さんに抑えられた時、左の太ももに筋膜炎を起こしていた。監督から登録抹消を伝えられ、それを拒んでいたのだ。 確かに凡退の後、珍しく全力疾走をしなかった。ベンチに下がる時の表情は、悔しさではなく痛みをこらえてのものだった。 私は故障に気づけなかった自分を悔みつつ、登録抹消がないことは確認し、それでもさすがに今日は欠場だろうと、代役は誰だ?とメンバー発表を待った。 「1番センター青木」。出場を直訴し、5打数3安打。 「気合いで打ちました。ケガした時は実際痛くて『マズいな』と。でもケガしながら試合に出ている先輩もいるのに、チャンスをもらっている立場の僕が休むわけにはいかない。寝ずにアイシングをして、身体にムチを打ちました」 結果よりも、身体の強さよりも、その心の強さに驚かされた。2005年の青木さんのヒットは202本。もしこの3安打がなければ199本。 引退会見で「21年貫いたのは諦めなかったこと」「諦めなければ大概のことは叶う」と語った青木さん。あの日諦めて欠場していたら、少なくとも2005年の200安打はなかった。 オンエア後、今後について聞いてみた。来年についてはまだ決まっていないそうだが、「これだけ野球をしてもまだ野球が好きなので、野球絡みのことはしたいです」と話し、「将来指導者とかは?」と聞くと「もちろんです」と力強い言葉。 恐らくはまた強い意志で、新たな目標を実現することだろう。
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